MBSナウ キャスター降板のきっかけとなった読売新聞記者が話かけてきました
昨夜、仕事を抜け出して晩ご飯を食べに入った天ぷら屋のカウンターで、私の人生で忘れられない出来事がありました。
YouTuberとして切り抜き動画も作りました🙇♂️
【切り抜き動画】MBSナウキャスター降板の真実 記事を書いた読売新聞記者が声をかけてきた
https://youtu.be/GfhaT5G2bEo
当時、ご迷惑をおかけした関係者も読まれるかもしれませんので、最初に謝っておきます。本当にすみませんでした!
以下、本文です。
MBSアナウンサー時代の1995年、夕方のニュース番組「MBSナウ」のキャスター就任を前に、休暇を取ってのカンボジア取材中に乗った旅客機で、操縦席に招き入れられたことをラジオ番組で喋ってしまい、そのことが報じられたことをきっかけにキャスターにはなれず、自宅謹慎3日間、半年間の出演停止処分を受けました。
会社の判断は当然だと思いますし、期待してくださった当時の社長はじめ、大勢の人を巻き込んで迷惑をかけました。
大きくポイントで切り替わった人生を歩むことになったのは事実ですが、それでも人生は続きます。喜びも悲しみもありながら、私は私の人生を歩んできました。
そして2023年1月26日、突然のことでしたが、その記事を書いたという読売新聞の記者(社会部にリスナーからタレコミの電話があったのがきっかけ)から昨夜、天ぷら屋のカウンターで声をかけられたのです。
その男性は恐る恐る「子守さんですよね?」と話しかけ、別の店で何度も私がギターを弾きながら歌うところを見ていたといいます。
そして、こんな話をしました。
「私があの記事を書きました」
「ずっと子守さんの人生を変えてしまったと思い、申し訳ないと思っていました」
「嫁さんは『あどりぶランド』のファンだったので、私が書いたとはいまだに伝えていません」
「殴られると思っていました。殴ってもらっていいです」
そんな話でした。
すでに天ぷらセットのビールを飲み始めていた私ですが、こんな風に反応しました。
「えぇ〜、そうだったんですか!」
「名刺出されたときから、ひょっとしてと、ピンときていたんですがね」
「あの後、ジャパンタイムスに出向し、パイロット免許も取りました」
「確かに人生は変わりましたけど、だからこそやしきたかじんさんにも拾ってもらえたし、河島英五さんからも曲をプレゼントしてもらえたし」
「今、お付き合いのある方はほとんどあの記事で変わってしまった後の人生で出会った人なので」
「まったく今生きている人生を悔やんではいません。まだ成功したとは言えないかもしれませんが」
他にもいろんなことをやらかして生きてきた私ですが、迷惑をかけてしまった方や、逆にかけられてしまった人と、もしバッタリ出会ったときに、こちらから目を逸らしたり、嫌ごとは決して言うまいと意識して過ごしてきました。
それは過去を引きずっているとも言えますし、そうでないとも言えます。でも、そうしようと決めて生きてきました。
衝撃の出会いは、本当に唐突に訪れました。
この対応が正しかったのか、間違っていたか、今の私には分かりません。
読売新聞に電話したリスナーさんがご存命かどうかも、その後どう思われていたのかも分かりません。確かに迷惑をかけてしまった人はいるので、ごめんなさいとしか言えないのですが、元記者と互いに生きているうちにこんなやり取りができるなんて、生きていることの喜びを感じました。最初は断りましたが、彼からお詫びの印にと、一杯だけ芋焼酎のお湯わりをご馳走になりました。
最後に、いろんな人にいろんなことを言われましたし、いまだに言われたりしましたが、一番印象に残っているのは、しばらくして三宮の高架下で、遠くから大声で叫んできたサラリーマンの言葉です。
「お〜い、子守さ〜ん。クサってたらアカンで〜!」
ありがとうございます。おかげで違うレールの上で人生を楽しんでいます🙏
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