明るいキャラクターで親しみやすい味わいの白ワイン。
Daniele Piccinin Bianco MUNI 2018
ダニエーレ・ピッチニン ビアンコ・ムーニ
造り手:ダニエーレ・ピッチニン
産地:イタリア、ヴェネト州
品種:シャルドネ、ピノ グリージョ、ドゥレッラ
希少な土着品種ドゥレッラとピノグリージョ、シャルドネのブレンドからなる白ワイン「ビアンコ ムーニ」です。
ドゥレッラならではのシャープな酸と、シャルドネの品の良い豊かさが素晴らしい調和を見せる、充実した旨みのある白ワインです。
さらに、柑橘の清々しい香りに、完熟した南国フルーツやハニーシロップのニュアンスが綺麗に重なります。
飲むと、充実した果実感に寄り添うイキイキとしたミネラル、ハリのある酸とほろ苦さが感じられ、旨味の強さと優れたバランスの良さを感じます。余韻も非常に長く、豊かな風味があります。
作り手:
外見も中身もかっちょ良すぎる男にして、間違いなくイタリアワインの将来を担う1人、<ダニエーレ・ピッチニン>
煌めく強い信念を持つ元ソムリエでアンジョリーノの「一番弟子」
ダニエーレ ピッチニンは、もともとレストランの共同経営者の1人として、ソムリエを担っていましたが、2003年にアンジョリーノ マウレ↓
をはじめとする造り手たちのワインと出会い、それまでのワイン観を大きく覆されます。
比較的近所だったということもあり、アンジョリーノと仲良くなり、とある日、畑やセラーでの仕事を手伝わせてくれないかとアンジョリーノに依頼します。
ソムリエがちょっとワイン造りを知ったつもりになりたいんだろうと高をくくったアンジョリーノが安請け合いすると、ダニエーレはレストランが休みの日は毎回、朝6時にはアンジョリーノ家に現れ、終日畑仕事からセラー仕事までを手伝っていたそうです。
そして2006年、レストランの権利を売却、自らワインを造る決心をします。
自分の生まれ育った場所の土着品種の復興を願いワイン造りをスタート
驚くべき事に、ワイン造りを始めるにあたってはアンジョリーノに何のアドヴァイスも請わずに事を決めてしまいます。
畑の場所に関しても、アンジョリーノの本拠地、ガンベッラーラでやるという選択肢もあったはずですが、「自分の生まれ育った場所の土着品種の復興を願って」生まれ故郷であるサン ジョヴァンニ イラリオーネを自身のワイン造りの地として選びます。
土着品種復興の想いで山を開墾
1000年以上前からこの地域で栽培されていた「ドゥレッラ」という白ブドウがありますが、もともとはRabiosa(ラビオーザ、過激な、の意)と呼ばれていた品種で、名前通り、鋭い酸、強いタンニンが特徴。
ただでさえマイナーな上に、酸が強すぎることもあって、植え替える人がほとんど。
未だに栽培している人の大半は、その酸を利用してスプマンテを生産しています。
しかしダニエーレは、本当に完熟したドゥレッラならば絶対に偉大な白ワインを造れると信じ、家の近くを開墾してあえてこのブドウを植えました。
畑はヴェローナ北東部、サン ジョヴァンニ イラリオーネという町の郊外にあるチーモ山の、標高300mから450mの南東向きの斜面にあります。
そして、さらに標高の高い(海抜500m)場所には、土壌、標高の高さ、気候などが合っていると考え、ピノ ネーロを植えました。
当然植えたばかりの畑からはブドウは生りませんので、1.6ヘクタールの樹齢約20年のシャルドネ、ドゥレッラ、カベルネ、メルローが植わる畑を別に借り、この畑から獲れるブドウで、ビアンコ&ロッソ デイ ムーニを造っています。そして2009ヴィンテージまでは、アンジョリーノのセラーを借りて醸造、ボトリングを行っていましたが、2010年にはセラーが完成し、いよいよ彼一人でのワイン造りが始まります。
畑ではバイオダイナミクス農法を実践。
納得いくワインを造るため、リリースを1年遅らせるという決断
彼の強い信念は、2007年ヴィンテージのビアンコ デイ ムーニにおいて、微細な醗酵がなかなか終わらず、結局本来のリリースのタイミングより約1年遅くリリースさせることを決めた際にも見て取れます。
スタートしてわずか2年目の造り手が1年リリースを遅らせるということは、1年間まるまる収入が得られないということを意味します。
たとえ収入が得られなくても、納得のいくワインを造りたいというダニエーレの決断が、どれほど大変な事であったか。
しかし、そのワインが完成し、ボトリングされたものを飲んだときの感動は、まさに彼の大英断を裏付けるものでした。
シャルドネはステンレスタンク、ドゥレッラとロッソは古い小樽での醗酵・熟成。
これくらいの気構えの持ち主のワインだからこそ、アンジョリーノのワインの良きライバルにまでこの短期間で上り詰めたのではないでしょうか。