見る世界
私の見る世界も歳を重ねるごとに変わっているなと感じる。
当たり前だけど。
SNSで観ていた世界は、
学校という世界のみんなをみる事から、
キラキラ輝いてる子達を見るようになり、
今は自分の生活や生き方に
刺激を与えるようなものをみたり、
なんて言えばいいのかわからないけど
そうやって変わっていってる。
それで言えば、会話も変わってきてる。
これも結構当たり前。
観る世界が変われば発する言葉も変わる。
気になるものも、
興味が湧くものも、
嫌だなと思うものも変わる。
学生の頃って、
共感や、同調で友達という関係を
築いてた人多いんじゃ無いかなって
勝手に思ってるけど、私もそう。
あの子のこういうところが苦手、
ああいう事が私にはわからない。
とか、
あの態度に、
この言葉に、
嫌な気持ちがした、
とか、そういう一つひとつに嫌気がさして、
人なんて友達なんてって思ってた。
信用なんて出来ないし1人で生きていくって
どこかで思ってた。
でも今はそういうことってなくて、
ただ何気ない会話が心地いい、
興味をそそるものが似てる、
大切にしているものが近い、
とかそういうので関係を築いてる気がするし、
まあそもそも新しく友達ができる機会なんて
ないんだけど、
今でも付き合いのある子達ってそういう子。
離れて行った友達ってたくさんいるけど、
きっと私の人生に必要な人なら
どこかでまた巡り会うって思ってる。
あの時あんなに仲の良かった子も、
夜待ち合わせをしていろんな話をしたあの子も、
何かのタイミングで離れ離れになって
そこから他人になって、
その時の自分には必要で、
これからの人生にはいない人だった。
でも確かに私という人間を構築するにあたって
必要な人だったのは間違いない。
私の人生に必要な人は、
離れた人でもきっと戻ってくる。
居なくなった人は
これからの私にはもう必要のない人。
悲しい別れもそう思うと
少しだけ受け入れられる気がする。
どれもこれも、
人生20数年というまだまだ始まったばかりの、
でもとても濃い月日で築き上げてきた
私という人間が、
観てきた世界で出来上がってて、ちょっと面白い。
唯一無二の私
私だけじゃ無い。
あの子も
その子も
この子も
みーんな唯一無二の1人の人間
なんか面白い。
道ですれ違う人、
目に映る人々、
耳に入るニュース、
身に起こった出来事、
そこから感じること、
それはすべて人それぞれで、
自由で、
正しい。
間違いも正しいも無くて、
否定、
卑下、
罵倒、とか出来ないし、
無い。
かと言って、
思ってもいない
共感、
同調、
それも重ねるごとに自分が崩れていく。
自分の観る世界が全て。
それが自分を作っていくし、
だからこそ他の誰でも無い自分が出来上がって、
他の誰でも無い世界にたった1人の人間が生まれる。
価値観だって人間の数だけ存在する。
合う合わないなんて前に、合わないが当たり前。
どう折り合いをつけて付き合うか、
分かりたい理解したいと思えるか、
が人と人の付き合いの中にあって、
信頼とかそういうのが生まれるんじゃ?
と思ったりする
だけど、
その世界を基準にして
他者の世界をそうじゃないああだこうだ
ということは絶対に違うし、
ただそう思うのは仕方のない事。
そこが難しいところ。
付き合わなければいいとは言えど、
それも難しい
ここに生きづらさが生まれるのかな
それも人生、人間
人間っていろんな感情がありすぎてついていけない
でもだからこそ楽しかったりもする
でもとりあえず今でも
生まれ変わったら人間じゃないものになりたいなと、
たまには思ったりする。
前よりは随分と人間として生きていきたいと
思うようになった。
変わらぬ目標は、
死ぬまでに、また人間になりたいと思う事。
死ぬ時に、また人間になりたいと思う事。