受け身と積極性の可能性
私は昔から「受け身」だと評されることが多かった。
他者から「受け身」だと言われると、どちらかというと「消極的だ」とか「主体性がない」等、マイナスの評価をされていると感じることが多かったのだが、最近その傾向が少し変化してきている。
それは、あるドキュメント番組で「積極的受け身」という言葉を耳にしたからだ。
その人自身の考えや思い、主張がないのではない。積極性や主体性はあるけれど、あえてそれらを主張せず、相手の考えや想い、表現したいことを最大限に尊重する。
ある職業においては、その受け身の姿勢が大事なのだ、という内容だった。
その言葉を聞いたとき、はっとした。
「受け身」にもいろいろな形の受け身があるのだ、と。
私のことを「受け身」と評した人はマイナスの意味でこの言葉を使用したのかもしれないけれど、自らの意思であえて主張せず、受け身でいることを選択したのならば、それは消極的とは言わない。
長年受け身という言葉に良い印象を持ってこなかった私は、急に視界が開けたような気がした。
同時に、「積極的」と言える姿勢にもさまざまあるんだな、と気づいた。
自ら行動する、発言する、主張するといったように、多くの人にとってわかりやすいものもあれば、あえて動かない、あえて身を引く、控える、という姿勢も、その目的によっては積極的とか、主体的と言える。
そういう形もあり得ると思ったら気が楽になったし、やり方の選択肢が広がる気がした。
他者を、自分に見える範囲の言動のみで良い、悪いなどと判断するのではなく、目に見えないところにも意識を向ければ、外側からはわかりにくいその人の芯の強さや優しさに気づくことができるかもしれない。