月組バウ"Golden Dead Schiele"感想①うれしいという感情をまず分解してみる
配信も含め、千秋楽までの全日程が無事に終わり。
Golden Dead Schieleは、ここで、おしまいになりました。
Golden Dead Schiele。
「銀のクリムト」が、いかに「金」となるか。
彩海せらが、いかに、「彼」を、短い時間の中で、確かな「金」とするか。
どうしよう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
私は、私は今、とんでもない、とてつもないものを目撃してしまっている!!
最初にこの作品を見たとき、特に一幕のあの衝撃的な終わり方を見せつけられたとき、まず思ったのは、それでした。
すごいとかおもしろいとかたのしいとか。そんな感覚よりも先に、なんだかもう全身を全方向からぶち抜かれたような衝撃に、声も失ってうちのめされていました。
少しだけ、呼吸の仕方すらわすれてしまいそうなくらいの混乱に、ふらふらして、手の震えが止まらなくなっていました。
そして観劇を重ね、ひとつひとつ、また彼女の新しい表情を、声を、体の使い方を見せてもらってゆくにつれ、
そんな感覚を、ほかの誰でもない彩海せらさんが私に与えてくれたことがうれしくて、うれしくて、しかたがなくなりました。
作品や登場人物の感想に行くより前に。
まず、どうしてこんなに、うれしくてしかたがないのかを、なんとか文章に残そうとしてみようと思います。
男役・彩海せら
今回見事な主演をつとめて見せた彩海せらさん、あみちゃんは、決して体格的に恵まれているわけではありません。
とても華奢で、男役としては上背はないほうで、細い子。
それこそこの前のバウ公演「月の燈影」では、着物の補正をしているだろうにもかかわらず、横を向くとあまりにも体が薄すぎて、折れてしまいそうでぎょっとしてしまったくらい。
けれど。もちろん、工夫も多々あったのだろうことはわかっているけれど。
今回の公演のなかで、彼女を「小さい」と思うタイミングは、私にはただ1回しかなかった。
しかもその小ささは、絶対に、意図されているものであろうと思っている。
軍服の、あの場面ですね。
意にそぐわぬ「理不尽」に、呑まれてもがき苦しむ、あの場面。
エゴン・シーレは私にとって、これまで彩海せらさんが演じてきたお役の中で、トップクラスで好きなお役になりました。
…いやでもなんか「好きな役」っていうのもちょっと違うというか、感覚に十分な言葉じゃないんだよな。この作品が、彼女たちが創り出した、あのとき確かに私も目にした「芸術」が、あたらしい、とてつもないものが、その与えてくれる衝撃まで含めて、本当に好きでした。
特にうれしかったのが、徹頭徹尾、一切のブレも迷いもなく、この作品が「男役・彩海せら」のためにつくられた作品だったこと。
彼女にならそれができると、膨大な量のセリフに、芝居、歌、ダンス。さらには彼女をまんなかに据えたフィナーレまであった。
彼女以外をその中心に据えることなんて、一切考えてもいない作劇だった。こんなものが初主演から当たる子はいったい何人いるのだろうと思ったし、それがあなたなら絶対にできるという、強く深い信頼が脚本・演出の随所から感じ取れるのがうれしかった。
あみシーレ、それくらい、ホント、ほぼ、ずっと舞台にいた。
そんな存在に、彼女が成長していることがうれしかった。
そう期待されて、その、期待のさらに上をゆく存在に進化していることが、本当にうれしかったのだ。
"あみちゃん"
この「うれしい」の話をしようとすると、どうしても昔話が必要になってくるので、長くなりますが語らせてください。
もともと私が彼女、彩海せらさんを知れたのは、望海風斗というミュージカル俳優をすきになったからだった。
2019年の夏、ある映画を見に行った先で偶然「壬生義士伝/Music Revolution!」のチラシを見つけた。たまたま、まだチケットが余っていて、仕事も休みだったので、なんとなくライブビューイングを見に行った。その先で、私は望海風斗と真彩希帆の率いる当時の雪組におっこちた。
いや、より正確に言うと、このトップコンビのあまりの「ミュージカル」としての歌のレベルの高さに、心が椅子から盛大に落っこちてしまったのだ。
「絶対にこれは直接見なければいけない」「体感しなければならない」。
そんな感覚に押されるまま、私はタカラヅカに足を踏み入れた。
そんでもって、踏み入れていったさきに、彼女、彩海せらさんはいた。
望海風斗の息子は、いたのだ。
私があみちゃんを認識した、好きになった最初の理由は、間違いなく「望海風斗の息子だから」だった。
キラキラ光る眼と、大きな口。舞台に立って、ライトを浴びることを、まばゆい中で、まっすぐに前を向くことを知っている。セリフの口跡がよく、舞台での動きが堂々として、演技がきちんと粒ぞろい。
声はまだまだ若くて高く、かすれるところも多いけれど、ああ歌が好きなんだな、それこそ「望海風斗のように」、ミュージカルの中で、意味あることばを旋律にのせて、歌いたいと思っているんだなと、納得できる歌い方をするところにも好意を持った。
からだが小さくてガヤ芝居で見つけることは当時はまだ難しかったけれど、組本や新人公演主演のときの望海さんとのエピソードだったり、2020年に始まった"Dream Time"のMCが、縣千くんとのコンビ相乗効果も含めてほんとうにかわいくて、おもしろくて。
だんだん、「かわいい息子」を、私自身の意思で、舞台上で見たいと思うようになっていった。
「望海風斗の息子」
上記はすでに、ご本人がた公認の関係性である。
きっと、いいことだけじゃないと、誰よりあみちゃんご本人が理解したうえで、それでも、彼女にとって男役・望海風斗の姿は「追うべき理想」の姿なのだと明言している。
バウ配信のあと、配信で「息子」の雄姿を見守っていたという「望海さん」が私のXトレンドにしばらくいたときには、ちょっともう笑うしかなかった。
でもって、どうして、そう言われ続けるのだろうかと言えば。
いつだって舞台上の姿をもって、あみちゃんが、そのあこがれと理想を示し続けてくれるからだ。
それが客席の私たちに、そして、きっと望海さんご本人にも、うれしくて、幸せで、仕方がないからだ。
そもそもあみちゃんは、望海さんのトップ時代はまだまだ若くてひよっこだった。
「だから」当時のあみちゃんは、本公演で、望海さんの子ども時代を演じることが多かった。
お披露目公演のショー「Super Voyager!」のいち場面「Diary」で、幼いころの望海さんのお役。
ミュージカル「ファントム」では、望海さん演じるエリックの幼少期。
そして「壬生義士伝」では、望海さん演じる吉村貫一郎の息子・吉村嘉一郎を演じる。そしてこの公演で、あみちゃんは初めての新人公演主演の座をつかみ取る。
この公演は今でもあみちゃんにとってはとても特別であるようで、本当に(望海さんが)親子のような関係性を築いてくれていたと、当時のインタビューだったりで、耳にした。
けれど「親」はいつか去る。
去っていこうとする中で、望海さんのプレ退団コンサートに帯同したあみちゃんは、前述した「Diary」を、今度は歌った。
あみちゃんが歌い、望海さんが踊った。お披露目のときとは、逆のことが、舞台に展開された。
退団公演「fff」では、望海さん演じるルートヴィヒの、青年期を演じた。
そして「親」、私をタカラヅカに引き入れた、去ってゆこうとする人に、あみちゃんは当時、こんなメッセージを送った。
当時、私は、望海さんが卒業したら一緒にタカラヅカを見るのも終わりにしようと思っていた。
思っていた中で、あみちゃんが、こんなことを言った。
大好きです!って、きっと言ってくれるんだろうと思っていた中で。なにかひとつ、覚悟を決めたような、すこし、宣言のようにも聞こえる、そんな彼女の言葉が、私の心にぐっとひっかかった。
しかもあみちゃん、退団公演のショー「シルクロード」で、あの最高のトンデモ場面・大世界にてものすごくバキバキに踊り、黒燕尾ではほぼその真後ろで「継承」を見つめるお役をしている。
だから。
だから、うん、そうだな。まだもう少し、「あみちゃんがいるから」見てみようかな、と、何度もこの特別の公演を見ていく中で、私は思ったのだった。
継いでゆくもの
そうして見続けてみたなかで、あみちゃんはどんどん、いろんなものを見せてくれるようになった。
単純に出番も多くなって、見つけるのが私にも容易になってきた。
だって、ショーのあみちゃんには、ものすごく特徴があるのである。特に男役としてのしぐさに、ショーで踊るあみちゃんには、本当にふとした瞬間に、もうそこにはいないかっこいい人の影がにじんで見えた。
それが、毎回見つけるたびにすごくうれしかった。
私、望海さんのそこが好きだったって、男役ってそういうのがかっこいいよねって、あみちゃんに、教えてもらえている気がした。
指先まで細やかに神経の通ったポージング、決して皴のよらないまっすぐな背中のボックスシルエット。横顔を見せるときの、天を仰ぐ角度、ほんの少しだけつり上げた唇の、どこかニヒルな感覚。
たぶんあみちゃんが一番「息子」と言われていたのは、ちょうど月組に組替えするまでくらいの間だったと思う。
いや今も言っちゃってるんだけどさ。それこそトレンドにもなっちゃったりするんだけどさ。ついつい見つけるとうれしくなっちゃって、さ、どうもね。
そうして転機は訪れる。今でもとんでもない衝撃だった、発表からわずか2週間後の、月組への組替え。
結果として、本当にこれ大成功だったなと思う。
組替えしたことで、あみちゃんは今度は、そこで戴くトップスター・月城かなとさんの、その二番手として重厚に舞台を支える鳳月杏さんの吸収を始めたのだ。
まねて、学んで、咀嚼して、のみこんで血肉として。
少しずつ変化して、なんだかものすごく複雑にいろいろ見えるようになってきたところで、あみちゃんの、待望の主演公演はやってきた。
彩海せらというタカラジェンヌを、一切のブレもためらいもなく、アクセル全開で常に舞台の中心として立たせ続ける、そんな作品が。
彩海せら以外、その役割として立たせることを考えてもいない。彼女の力量を信じ、それを背負いきることを大いに期待して、とんでもない量のタスクが課せられている一品が。
彼女の引力
あみちゃんの美点として、素直なところがあげられると思う。
研究熱心で、自分だけの手におさめられないことには、自ら進んで尊敬する方の指導を仰ぎに行ける、そんな勇気があるところが、本当に素敵だと思う。
……正直このエピソード、ほっこりしたらいいのか、すごすぎて戦慄したらいいのかよくわからない。(笑)
でもひとつ間違いなく言えるのは、今の月組が、月組のワン・ツーが、下級生からのそういう姿勢を、大きく腕を広げてうけいれ、惜しげなく自らの技術を伝えようとしてくれるひとたちなんだということ。そりゃあバウもコンサートも、どちらも素晴らしいものに出来上がるわけですよ…。
もちろんみなさん表に出していないだけで、このたぐいのエピソードはきっと内側では枚挙に暇はないのだろう。
だからこそ、聞き上手の中井さんに引き出してもらって、こんな話が公共の電波に乗ったのがうれしかった。コンサート公演が一足先に終わったあと、実際に月城さんも鳳月さんも、バウを見に来ていたという話を聞いて、またうれしくなった。
かつて雪組で、それこそバウで3兄弟をともに演じた「雪組のおにいさんたち」、ひとこちゃん(永久輝せあさん)あやなちゃん(綾凰華さん)が、客席に駆け付けて、あの衝撃を見守ってくれたことも、またまた、すごくうれしかった。「父上」望海さんなんてもう、言わずもがな…。
もう組も状況も、なにもかも違えているひとたちに、それでも変わらずに、「見に行きたい」と思わせる。意識を、興味を引き続けることができる。
とても有難い関係性だと思うし、それを(こちらが勝手に客席から横目で見て確認して、なのが本当に申し訳ないのだけれど)垣間見ることができるのが、うれしいなあ、うれしくなってしまうなあ、と、思う。
そして何より、そういうふうにさせるあみちゃんは、
そんな、引力を持っているひとなのだろうと、思う。
他人との、関係性の引力。
彼女の賢明な懸命とひたむきさ、芸事へのわき目をふらぬ熱の高さをもって、同じ熱を持つひとたちとの、糸を、縁をつないでゆける力。
それを、なんだかこのバウ期間、ずっとずっと感じていた。多くの好評の中で、揺るがない真ん中の強い磁場として立ち続けるあみちゃん。こんなにも強くて、きれいになっていっているのだなあ、と。
ナウオンでちょっと印象的だったるねさんの言葉。
これは「グレート・ギャツビー」の新人公演のときにも思ったのだけれど、あみちゃん、なんというか(意識してるのかどうなのかわからんけども)特に自分が真ん中になると、自分の持てる限りの芸術の力で、全力で殴って殴って前に進んでいくスタイルになるんだなあ。
意外と体育会系というか。合わせに行かなくてよくなるとタガが外れるというか。(笑)
あんな地力のある子が、誰よりそうやって努力してどんどん、日々、他人の目から見ていても変わって行き続けたら、そりゃ、みんなも全くうかうかしてられないよね。
なら自分はどう変わる、あのまんなかへ、どうアプローチする。
あみちゃんはきっと訊ねればいくらでも一緒に考えたがっただろうし、練習の時間も割いただろう。あの舞台のうつくしさとビシッと出演者全員の目が揃っている感じは、間違いなくそういうものの積み重ねから来ているんだと思う。
そんなカンパニーの座長が、ぶれない揺るがない芯が、彩海せらさんであったことが嬉しい。
そんな力があるんだと、めいっぱいに、客席に見せつけてくれるあみちゃんは、それこそ一体、何者なんだろうか。
次からやっと本編の話に入ります。
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