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人種差別を初めて考えた日

 日本人として生まれ育ち、初めて人種差別を身近なものに感じたのは2020年に「Black Lives Matter」の運動がSNS上で果敢に行われていた時だった。

アメリカのある黒人が無抵抗にも関わらず警察に地面に伏せ続けられ亡くなったことがSNSで拡散され、日本にもその波は伝わってきていた。

日本では起こりえないであろうこのニュースを見て、ふと思った。僕には20歳の時に初めてアメリカに渡航し出会った黒人の友達がいる。この「Black Lives Matter」の運動は身近な友達が危険な目に遭うかもしれないという現実に気付かされた出来事だった。
僕もこの影響を受けて自分も黒人差別を止めるべきだと、日本人にできることは何かないかと考えようとインスタにBLMのハッシュタグをつけて投稿した。

しかし、しばらく経って違和感に気づいた。20歳までの人生を日本で過ごし、外国人と関わらず、海外が憧れの場所だった僕の頭の中には元々、肌や国籍で差別をするという発想が無かった。BLM運動以前は「All The Lives Matter」という考え方が僕の中で当たり前だったのに人種差別を身近なものとして捉え始めたことをきっかけに「この肌の色の人からしたらこれは人種差別に聞こえるかもしれない。」と自分以外の物差しで他人や自分の発言に対して人種差別ではないのかと神経質に考えるようになってしまった。

さらに、ある特定の人種を尊重しようとすればするほど、人種間の溝がより深くなっているように感じ始めた。
「差別をされているからもっと優遇しよう。社会的優位に立たせよう。」と特定の人種に過剰な配慮すれば、配慮される側もその過剰な配慮に困惑し、不快感を表す人もいるだろう。社会が人種差別をなくそうとすればするほど反対の方向に向かっているようだ。

例えば、「黒人を尊重しよう」→「会社などで黒人を重要な役職に採用しよう。広告に起用しよう。」という社会になると、まるで採用された人は今の地位が実力ではなく人種への配慮をした結果だと捉えられても仕方がない。さらに採用されなかった他の人種も「黒人だから採用された」という一側面に反感を抱き、さらに社会の人種間の溝は深まるだろう。
現にBLM運動に対して黒人の方々から黒人を特別扱いするような真似はしないでほしいというコメントも存在した。

奴隷として扱われていた歴史があり、今もアメリカでは少なからず差別的な目があるかもしれない。だから特別扱いをしようとする。この主張は間違っていない。
どうか誤解しないでほしいが、僕は黒人を優位に立たせるなと言っているわけではない。

人種の優位を主張せずとも当たり前のように「All The Lives Matter」の考え方があるのか理想だと僕は思う。

#教育 #人種差別 #留学 #アメリカ

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