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このまま世界が終わればいいのに【3】
やや速度を上げて走っている僕に、文月が声をかけた。
「ねえ、ここどこ?どの辺?」
「千代田区。」
「千代田区ってローソンしかないの?」
急におかしなことを言う文月に僕は目線を寄越して、
「そんなことないだろ。」
というと、文月は流れる外の景色に目をやったまま、
「本当によ。ほら、あれもローソン。さっきからローソンしか見ないんだよ。何かそういう縛りでもあるの?千代田区って。」
と不思議そうな顔をして窓の外を見ている。
そういわれて僕も注意して外の様子を見ていると、確かにローソンの数が異常に多い。
「街づくりとか何かの条件のせいで偶然ローソンが多いんだろ。」
「でもさあ…。」
文月はフロントガラスに向き直って言った。
「千代田区の人ってあんまり生活にこだわりないのかな?必要なものが手に入ればあとはどうでもいいっていうか、欲がないの。必要最低限のものさえあれば他に興味ない人ばっかりなのかもよ?」
「千代田区民に怒られるぞ。」
「怒らないでしょ。それにすら興味がないんだよ、千代田区民って。」
それはあまりにも千代田区民に失礼な言い草だが、都会の人間は確かに必要最低限のものに対して、それ以上の欲がない人が多いかもしれない。
僕もどちらかといえばそちら側の人間だ。ある一定の生活ができれば、それ以上を望まないし欲しがらない。人間の欲なんて大きければ大きいほど、何かしらの妨害を受けてロクなことにならない。
ある程度の夢を見たとしても、それが叶う確率は叶わない確率のほうが大きいのだから、叶わない事実を受け止める事ができるくらいの夢しか見たくない。そう考えるようになったのは一体いつからだろう。多分、僕が子供の頃に「こんな大人にはなりたくない」と思っていた大人に、僕はなっている気がする。そう考えると僕も希望のない大人として生きているのかもしれない。
「奈良皆さん、今から川行ける?」
「川?」
「そう、川。」
「河川敷ってこと?別に行けなくもないけど。」
「じゃ、お願い。」
そう言ってニッコリと笑う文月はまだ18歳だ。文月は文月で、今はまだ現実的ではない夢を抱いていたりするんだろうか。そんな話は聞いたことがなかったけれど、18歳という年齢はこれから何だってできる年齢だ。だからこそ、夢のない僕のような大人と何故、あの夜恋人になるなんて言い出したのか、未だにそれは理解できないままだ。
国道を外れて、土手に入ってしばらく走った先で車を停めた。
車を降りると、辺りは当然真っ暗で川の水の音が微かに聞こえた。文月は暗がりにある石ばかりの地面を慎重に踏み進めて川の流れるほうへと歩いていく。
「気を付けないと転ぶぞ。」
「大丈夫!それとも奈良皆さん、抱っこしてくれるの?」
「無理だな…重くて。」
そういう僕に振り返ってしかめ面した文月は、流れる川の直前でしゃがみこんだ。
そんな文月を僕は後ろから抱きしめると、文月は
「ねえ奈良皆さん、さっき話したノストラダムスの大予言なんだけど。」
と言う。
「うん、何?」
「どうせ1999年の7月に世界が滅亡するんだから、勇気出して何でもやっちゃえ、って行動に出た人って絶対いると思うんだけど。」
「まあ…そうだね。少なからずそういう人がいてもおかしくはない。」
「でも何も起こらなかったじゃない?取り返しのつかないことになって、自殺しちゃうとか。無駄死にした人はたくさんいるんじゃないかなあ…。」
そういう文月は何となく切なそうな顔をしているように見えた。
「失業率がアップしたっていう結末もね。」
僕がそういうと、文月は振り返って僕の顔を見て真顔で言った。
「失業率?ノストラダムスのせいで?」
「そう。どうせ地球が滅亡するなら…って信じていた人は、この際、会社なんて辞めて好きな事しようと思ってね。滅亡するのにそれまで仕事してても仕方ないだろ。だから大量に仕事を辞める人が出てきて、その時点での失業率は通常よりもだいぶ上がったという話を聞いたことがある。」
「なるほどね…大人でもそうなっちゃうんだ。」
「それは日本だけの話じゃないし、世界中でそういった動きはあっただろ。むしろ海外のほうが宗教的な動きはたくさんあっただろうし、絶望して犯罪に走ったり自殺したりする人間は多かったと思うよ。」
「ふうん。」
文月は足元にある石を拾って川めがけて投げた。石は暗闇にある川に落ちて、微かにポチャン、という音を立てた。
「奈良皆さんはさ、もしも明日地球が滅亡するとしたらどうするの?どうしたい?」
もしも明日地球が滅亡するとしたら…それはそれで僕は何もしないかもしれない。そんな急な質問には答えは出ないし、どこかしらでそうならないことを分かっているからかもしれないけれど。
「さあね、でも多分何もできないだろうな。普通に慌てて、普通に恐怖して、何もできずに時間が過ぎてしまうと思うよ。」
「それが普通だよね、やっぱり。」
「やけにこの話するけど、何かあった?」
そういった僕のほうに文月は振り返ると、
「別に。このまま世界が終わればいいのに、って思っただけ。」
そういって文月は笑った、その笑顔はどこかしら痛々しく、僕が今までには見たことのない文月の笑顔だった。
文月は中学を卒業してから高校には行かず、毎日フラフラと遊び歩いていた。始めは中学の時の友人と遊んでいたが、そんな友人たちもそれぞれの新しい高校の友人と遊び始めて、文月はいつの間にか1人きりになってしまった。文月が何故、高校に進学しなかったかというと、それは両親の仲が険悪でどちらが娘の学費を出すかで散々揉めていたからだという。文月が高校には進学しないことを告げると、両親の毎日の罵り合いはピタッと止んだ。
「私の学費だけであんなに揉めるんだから、離婚の際はきっと大騒ぎだろうなって。ていうか何でもっと早く離婚しなかったんだろ?」
文月の勘は的中する。それから1年後に両親は離婚した。その時の財産分与などの話は当人同士ではあまりにも話がまとまらず、双方弁護士を立てて話は進んだ。その頃、文月はほとんど家に帰らず、ひとりで住む場所を探し、身体を売って生活費を稼ぐ日々だった。
僕か文月から初めて聞いた両親の話は、
「今日、親の離婚が成立したんだって。」
という事だった。泥沼離婚だったのもあり、それまで文月は僕にその話を一切しなかった。そんな話なんて恥ずかしくてできる訳がない、と文月は呆れた顔でため息をついた。親権は母親に渡ったらしいが、母親は文月に一切の援助はしないと言い、
「今まで1人で生活していたんだから、これからもその生活をしていけばいいでしょ」
と言われたそうだ。その時点で文月には帰る場所がなくなってしまった。自分を売って稼いだ金で生活をしていくことが、身体とメンタルにどれだけの重荷がかかっていたか、そんなことを全く知らない母親は、残された自宅で悠々自適に生活しているという。
父親のほうは今、どこでどうしているのか何も分からないらしいが、離婚後に一度だけ偶然街でばったり会ったそうだ。その時、文月は男連れだったが、どこからどう見ても年頃の女の子に相応しくない年齢の男を連れていることに、父親は怪訝な表情を見せた。
「一体どこの誰なんだ?」
と問われた文月は、
「今日のお客さん。たくさんお小遣いをくれるんだよ?何かおかしい?」
と答えた。その答えを聞いて父親は言葉に詰まった。それっきり、文月は父親に会っていない。目の前で自分の娘が身体を売っている事実を知っても、父親はただ狼狽えただけで怒ることもやめさせることもしなかった。そういうところなんだよ、と文月は言う。
川を後にして、僕は文月を家に帰すために新築のアパートまで車を走らせた。その途中、文月はいつの間にかシートベルトに頭をもたらせたまま眠ってしまった。やけに落ち着いた声のDJが世界に向けて何かを話している間、僕は文月が聞いたノストラダムスの大予言について思い出していた。
「恐怖の大王が降ってくる」という予言の1999年7月、僕はまだ9歳でその予言を知ったのは多分6歳くらいだった。文月には特に気にしていないとは言ったが、当時、僕はその大予言を信じていて誰よりも恐怖していた。地球が滅亡するということは、生きている全てが死ぬということだ。一体どこでどんなことが起こって死ぬんだろう、果たしてそれは苦しくて痛いのか、そんなことが頭から離れずにいた。他の年齢の子供よりも些か神経は細い子供だった。何よりも「死」という事に敏感だったし、子供の頃の僕はやけに「死」ということに恐怖を抱いていた。8歳の頃に読んだ本に「第3次世界大戦が起こったら地球は滅亡して、誰一人として助かることはない」という事が書いてあったのだが、それ以来僕は戦争というものに恐怖して、未だにどこかの国で戦争が起こっていると聞くと、当時の恐怖が若干蘇ることがある。それもあり、ノストラダムスの大予言はもしかしたら第三次世界大戦が起こるのだろうかと思っていた。恐怖の大王が空から落ちてくる、というのを戦争中に落ちてくる核弾頭のことに違いないと確信していた。ノストラダムスの大予言を信じずに、そんなものを鼻で笑い飛ばす人間はどうして怖くないんだろうか、と僕には理解できなかった。
そうやって何年か恐怖の中で時が過ぎて、来てしまった1999年の7月。怖いからといって僕に何が出来る訳でもないし、その恐怖する気持ちを誰かに話したとしても、
「予言が当たったとしても、どうせみんな死ぬんだからしょうがないよ。」
という簡単な答えが返ってくるだけだった。みんな死ぬからといって自分が死ぬことを怖がらないというのも、何だかなんの理由にもならない。全員が苦しんで死ぬとしたら、それはやはり人数は関係なくとても怖いことだ。もしも当時の僕に「神様に祈れば救われる」なんて宗教家が言ったとしたら、僕はきっと毎日何度も神に祈りをささげて、全てを神に任せてしまう従順な信者になっていたことだろう。
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