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このまま世界が終わればいいのに【5】
文月が僕と付き合うと強制的に決めた日から、文月は援助交際という行為をしなくなった。というか、僕が止めた。
「彼女が身体を売って生活しているとか、そんなのは僕でもさすがにメンタルにくる。」
そう言って文月には援助交際を辞めさせた。もちろん、文月は僕のその言葉に大喜びをした。
「え、何それ、それって大好きな彼女にそんなことさせたくない、っていう恋人的な意味での言葉だよね?」
そう言って満面の笑みで目をキラキラさせる文月に呆れながら、
「大好きな彼女にね…今日出会ったばっかりで大好きにはさすがになれないけど、こんな10代の女の子に援助交際なんてしてほしくないのは本当のこと。それは大人の社会にいれば常識ってものだし。」
「大人の社会?でもさ、その大人の社会にいる大人たちが私たちのためにお金を下ろしてくれるんだよ?」
「そういう大人は一部だよ。文月はそういう一部分の大人しか目にしてないってこと。」
「奈良皆さんみたいな品行方正な大人のほうが多いってこと?」
「僕みたいかはまた別だけど。少なくとも文月が相手にしてきた大人たちが品性下劣だってことは確かだ。」
「ふーん。」
文月は頭が良いというか、現在18歳である女の子とはまた違う賢さがある。それは文月の今までの成長過程が一般家庭と全く違った環境だったからかもしれないけれど、何にしても文月と付き合い始めた日から僕は文月を「納得させる」という行為に四苦八苦した。文月は引き出しが多い。ひとつのことを質問されてそれを答えても、それをまた違う質問で返してくる。一筋縄ではいかない、というのはこういうことなのかもしれないと僕は未だに思うことが多い。ただ。それに関して僕が嫌な気分になるかと言えばそうでもない。逆にそんな文月の意見に違う面の答えを知ることが出来るのも珍しくない。文月には言わないけれど、今まで僕が交際してきた女性の中では一番飽きないし、一番楽しくもある。それを文月に言うと、とんでもなく大きな喜びをとんでもない言葉数で返してくるだろうから言っていないけれど。
「ところでバイトはちゃんと続いてるんだよな?」
僕が服を着ながらそういうと、文月はそんな僕をじっと観察しながら答える。
「うん、まあ…せっかく奈良皆さんが紹介してくれたバイトだし、前にやってたコンビニのバイトに比べたら何百倍も退屈しないよ。」
「そっか。なら良かったけど。」
「あのね、昨日そのバイトの日に図書館行った訳。そしたら苦情があって。」
「苦情?文月の?」
「違うよ、もう。図書館の中のことだよ。」
「なんだ。何かあったのか?」
むくれたままの文月は僕を恨めしそうに見てから言った。
「予言。」
「予言?」
「昨日言ってたの、覚えてる?ノストラダムスの。」
「ああ…覚えてるけど?」
すると、文月は座り込んでいたベッドから降りて、部屋のテーブルの上にある本を手にした。
「これよ。問題は。」
そう言って僕に手渡されたのは、ノストラダムスの本だった。『恐怖の大王の正体』というタイトル。オカルトが好きな人間なら、誰でも一度は読んだことがありそうな本だ。
「で、これが苦情の原因?」
「中見てみて。」
僕はその本を適当にパラパラと捲った。すると、本のラスト部分がない。ページがむしり取られているようになくなっている。
「その本を図書館で読んでいた人が発見したんだけど。ラストの重要な部分がなくなってるでしょ。」
「確かに。いたずらか?酷いもんだな。」
「図書館の本がこんなことになってるって苦情。酷いよね、本に罪はないのに。最初、嫌がらせなのかなって思ったんだけど。」
「他の本は?」
「一応、今のところ大丈夫みたい。他にも被害に遭った本があるなら、悪質だから警察に被害届を出すところなんだけど、これ一冊しか見つからないから出さないんだって。」
「なるほど。何でこの本を文月が持って帰ってきたんだ?」
「一応、回収して新しい本と入れ替えることになったんだけど、その後、この本どうするのか聞いたら館長が引き取った後に保管するって言ってたから、一週間だけ借りたんだよ。返してくれるならいいよっていうし。破れてる本借りて何するんだ?って聞かれたけど。」
「まあそうだろうね。」
文月は破かれた『恐怖の大王の正体』を僕から受け取ると、愛おしそうにその破られた直前のページをじっと見た。
「破られたのは結局、予言の恐怖の大王とは何か、と書いてあるはずの最後の部分。もともと『恐怖の大王』って最終的に何であってどうなるのか、ってどこの文献でも書いてないよね。でも、必ず最後は広い意味での不吉な言葉で終わるのばかり。で、この本のラスト部分。恐らく他の本と同じく具体的なことなんて何も書いてなかったと思うんだけど、わざわざと破ったのは、何か意味があるんだろうなって。」
「まあ、そうかもね。」
「しかもよ?考えてみればノストラダムスの大予言の本なんてどこの本屋に行っても売ってるでしょ。誰でも手に入る状況なんだから、『恐怖の大王の正体が何なのか、楽しみにしてる人への嫌がらせしよう』とかも何だか違和感あるし。だって何も起きなかったんだから。じゃあ、何の目的でこんなことしたんだろうって。」
文月のいうことは最もだ。今どきこんな有名な作家の本ならどこでも手に入るし、本屋で立ち読みもできる。ページを破ってラストを読めなくすることに何の意味があるんだろうか。しかも、今から24年前のことだ。
「確かに謎だ。」
僕がそう言うと、文月はベッドに腰かけて言う。
「誰かのメッセージかも。」
「メッセージ?」
「ノストラダムスの予言に人生の絶望感を重ねて、『自分がおかしくなりはじめた!』っていうメッセージとか。生きるのが辛い人がわざと破ってSOS代わりにしたのかなって。」
「そんなに回りくどいメッセージの出し方するか?」
「あるかもよ。こんな色んな情報が毎日、山ほど行き交う世の中なんだから、いろんな人がいるもん。世の中には事情のある人ばっかり。むしろ事情のない人なんていないでしょ。人の数だけ事情があれば、ひとりやふたりくらい回りくどいSOS出す人もいるかもしれないよ?」
そう言われると返す言葉がない。回りくどいSOSを出す人間にどんな事情があるのかは正直気にもなるが、それを考えたらキリがない気がする。もしかしたらSOSを自分の言葉で言えない事情もあるのかもしれない。ただ『恐怖の大王の正体』を今頃になって読んだ人への限定したSOSなのだと思うとその事情はきっと深い。
「それはそうとしても、図書館のバイトがやっていけてるなら良かったよ。紹介したかいがあった。」
「奈良皆さんの顔に泥塗る訳にはいかないでしょ。」
「まあ、そうだけど。別に無理して続ける必要はないから、やめたくなったらやめるのには反対はしないよ。」
「今のところ楽しいから大丈夫。っていうか奈良皆さんの紹介がなかったら、私が図書館でバイトなんて一生出来なかったよ。」
初めて文月の家に来たとき、台所の生活感のなさにも驚いたが、何よりも本の多さに驚いた。それも、漫画ではなくきちんとした純文学の本だ。毎日、街に出てはサラリーマンを相手に金を稼ぐ、当時16歳の文月には、全く持って読書家の印象は感じられなかった。本棚に積まれたそれらの本は、僕の歳でも読んだことのない本や、読んでも意味の分からない本があった。それらは日本の純文学だけではなく、海外文学まで。それに紛れて今どきの若者が愛読するようなファッション雑誌が混じっている。この世界観の違いに文月は全く違和感は感じないという。
「学校の勉強は全く出来ないけど、人間とコミュニケーションとるための会話には不自由しないの。それは本を多く読んだことで、言葉の選択肢が多いから。」
なるほどね、と僕は納得する。文月のボキャブラリーだったり言葉の選び方は独特だ。その独特な言葉選びで、今までいろんなものを敵にしたり味方にしたりしてきたんだろう。
そのとき、文月の携帯が鳴った。文月は画面を見て一瞬嫌そうな顔をしてから僕を見た。
「出て大丈夫だけど。」
僕がそう言うと、文月は一呼吸置いてから電話に出た。
「もしもし…」
やる気のなさそうな文月だったが、次の瞬間
「えっ…」
と声を上げた。その様子を見るからに、その電話が良くない電話だったことは分かった。文月は二言三言返事をしてから電話を切った。
「良くない電話?」
僕がそう聞くと文月は真顔で頷いた。そして、
「お父さん死んだって。」
と感情が伺えない声色でポツリと言った。
<continue>