このまま世界が終わればいいのに【6】
「東京から外に出たことないんだよね。せいぜい埼玉と神奈川くらい。千葉県は田舎なんだっけ。」
「千葉も栄えてる場所はちゃんとあるよ。そういう意味では埼玉県も神奈川県も同じようなもんだよ。」
「でもさ、北関東は田舎なんでしょ。前にテレビで言ってた。」
「まあ…これだけ道が広いから都会だとは言えないのが正直なところかな。」
僕と文月は栃木県を目指して車を走らせていた。
とはいえ、栃木県なんて僕だってあまり足を運んだ覚えがない。
行ったこともない場所を目指して車を走らせるのは、カーナビがあるとはいえ少々、不安でもある。
そんな僕を横目に文月は、
「行ったこともない場所に行くのってワクワクするよね。人間はそうやってアメリカ大陸を発見したんだから。」
と呑気なことを言って助手席で外の景色を眺めている。
「お墓参りに行くのにワクワクって表現はどうかと思うけど。」
「そう?それくらいの楽しみがなきゃ、栃木までなんてわざわざ足を伸ばさないでしょ。旅行みたいな…そういえば、奈良皆さん前に旅行いきたいっていってたじゃん。」
「これのどこが旅行なのか、僕には理解しかねるけどね。」
文月の父親が亡くなったと電話してきたのは母親だった。
「そんな連絡来たって困るわよ。そうだ文月、あんたちょっとお墓参りしに顔出してきてちょうだい。」
急いで実家に帰った文月に母親はめんどくさそうにメモを手渡した。
そこには住所と建物の名前が書いてあった。
「お葬式もお墓も納骨も済んでるんだからまだ良かったとは思うけど。それにしたってあの人、変なものにハマって。何だか気持ち悪いわねぇ。」
メモされた住所は栃木県だった。
そして、文月は僕に電話をかけてきた。
「栃木県に行きたい、奈良皆さん。お願いします。」
開口一番に文月はそう言った。
もう2年も文月と付き合っているが、あんなに真面目に文月が僕に対してお願いをしたのは初めてだった。
もちろん、僕は何も反対せずに車を出すことにした。
車を走らせながら文月から聞いたことは、文月の父親は晩年小さな宗教団体に入っていて、相当の信仰心があったということ。
亡くなった後、父親は宗教団体の計らいで葬儀も行ってくれたという。
お墓は団体の信者が亡くなったあとに入る共同墓地に納骨されたらしい。
何より僕の中で引っかかったのは、文月の父親の死因が自殺だったということだ。
「ねえ、奈良皆さん。私の父親ってとてもじゃないけど神様に対して信心深く祈ったりするタイプじゃないんだけど。むしろ逆で、母親と同じく金に汚くて強欲でケチで。そんな父親が何で宗教なんかにハマったんだろ?とてもじゃないけど想像できない。」
「それは僕に聞かれても困る。まあ…歳を重ねるっていうことは。1年でも2年でも、短期間でも人間は変わるから。その間に何かしらの出来事が起こったんだとしたら、信心深くなるきっかけには十分すぎる。」
「でも最終的に自殺したんだから、宗教のありがたみなんて何もなかったことになるよ?神様は助けてくれなかった、って身をもって証明しているみたい。」
カーナビの言うとおりに車を走らせていると、随分と栃木の奥地まで来た気分だった。
かれこれもう出発してから2時間以上、車を走らせているのに全くそれらしい建物もないし、カーナビを見ても到着する気配がない。
退屈した文月が、
「キリンが逆立ちするときってどうするか奈良皆さん知ってる?」
とおかしな質問をしてきた。
「何?突然。」
「だから、キリンが逆立ちするときどうするかよ。」
「さあ…とりあえず首が長すぎて無理だ。」
「だよね。だから、キリンは逆立ち出来なくて結局心を病んでしまうんだよ。」
「首の長さが仇になるってこと?」
「そう。なんかさ、この話をもしもおじさんとしてたら『キリンだけに首がネックになって』とかくだらない駄洒落言いそう。奈良皆さんが言ったらどうしようってちょっと不安だった。」
「それはご心配おかけしました。ところで、何で急にキリンの話になったんだ?」
僕がそう言うと、文月はひとつあくびをしてから答えた。
「子供の頃に、お父さんに言われたんだよ。『何か気持ちが焦るときには、キリンが逆立ちしている光景を想像しなさい。そうするといつの間にか気持ちは落ち着いているから』って。要するにお父さんはキリンが逆立ち出来ないのを分かっていて私にそう言ったんだと思う。キリンをどうにかして逆立ちさせる方法がないかって想像しているうちに、気持ちの焦りなんて忘れられるでしょ。そういうこと。」
「なるほどね。」
「そんな話してくれていた頃はまだまともだったんだけどね。確か、お母さんも。」
そう言って文月はフロントガラス越しに何もない風景をぼんやりと見た。
その目は風景を見ているというよりは遠い過去を見ているような目だった。
文月からはどうしようもない両親の話しか聞いたことがなかったから、そんな風に娘に対して何かを教えてくれるようなやり取りがあったということを知った僕は何となく救われた気がした。
自分の中に親から愛されたという記憶があるとないとでは人生は全く違ってしまう気がする。
それがただの思い出という気休めだという人もいるかもしれないけれど。
それから10分ほどカーナビの言うとおりに車を走らせていると、畑が広がる中に妙にきれいなビルが建っていた。
その風景にCGで後から付け足したようなビルは、街中にあればちょっとした企業の本社のように見える。
そのビルに辿り着くとカーナビは
「目的地に到着しました。」
と僕たちに告げた。
文月が助手席の窓からそのビルを見上げた後に、
「何これ、カルチャーショック。違和感しかない光景。」
と言った。
僕たちはしばらく言葉が見つからないまま、車の中からその光景を見ていた。
駐車場はビルの隣にかなり広い場所であり、何台か車が止まっていた。
その駐車場がこのビルの所有するものなのかは書いていなかったが、この一帯にはこのビルしかないので、まず間違いなくこのビルの駐車場なんだろう。
僕たちは車を停めた後にビルの名前を確かめた。
「文月、メモに書いてあった名前何だっけ?」
「しんせいかい。」
メモには『しんせいかい』と走り書きしてあった。
恐らく文月の母親が聞いたままをメモに記した名前。
ビルの目の前には短い植木がきれいに植えられ、そこにある大きな岩のオブジェにしっかりと見やすい文字jで『真聖会』と彫られていた。
「どうやらここで間違いなさそうだ。」
僕がそう言うと文月は、
「どうする?」
と僕を横目でみた。
「どうするって…文月のお父さんのお墓参りに来たことを誰かしらに言って、手を合わせるのが目的だろ。」
すると文月は深いため息をその場で吐いてから、
「来ていきなり、後悔しそうなくらいに、ややこしい展開。」
と言った。
宗教団体と言ってもピンからキリまである。
だから、どういったものが正解、とは言えないけれど、今僕たちが目の前にしている『真聖会』の建物は、どう考えても宗教団体が所有しているような建物ではない。
数えてみると5階建てで、窓は全てがマジックミラーになっているようだった。
入口はマンションのエントランスのようになっていて、ドアはオートロックになっている。
どう見ても、このビルのような建物の敷地に共同墓地があるとは思えない。
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