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彼女の地図【3】

―どこまでも続く―

老人は消えてしまった。残された人間は僕ひとりだった。何もない、この真っ白な空間に記された1本の道。白い石には、「前 後」と書いてあった。一体どっちが前でどっちが後ろなのかわからなかった。ただ、僕はここに長居していてはいけない気がした。僕の前にある1本道。長い長い1本道。どこまで続いているのかすらわからない。左右、どちらに行くのか賭けだった。どちらもどちらだ。50%ずつの確率だ。何を決め手にすればいいかわからない。そんなとき、右の道の奥に一瞬キラリと光るものが見えた。それは一瞬で、もう消えてしまった。左を見ると、そこにはなにも見えない。少しでも希望を捨てたくない。僕は右を選んだ。それと同時に、握っていた白い石が暖かくなっている気がした。

僕は、歩く。
何もない白い空間の1本道。両脇には何もない。草も、木も、建物も、なにもない真っ白な空間。それでも僕は歩いた。時計がないから時間はわからないけど、足が悲鳴をあげるまで歩いた。ただ、ケイコのことを考えながら。ケイコはまだ僕のことを待ちながら、地図の下絵を描いているのだろうか?こんなところに放り出された僕を待ちながら。一体この道はどこまで続くんだろう。一周して戻ってきてもおかしくないような道のりだ。
そう思いながらも僕は少し勘違いしているような気分になった。一周、はしない。この道は、平面なんだと。だからいつか、いずれ、この道は途切れる場所があるはずだ。
僕はそこまで行かないとならないのだろうか。

―崖―

この空間に入ってからどのくらい時間が経ったんだろう。もう足は歩くのがやっとで、僕の体力もかなり消耗してきた。いつまでもいつまでも続く1本道。果たして僕が間違っていたのか?そうだとしたら…

そのとき、はるか向こうにキラリと光る何かが見えた。僕はハッとしてその光を凝視した。なんだかはわからない。ただ、光っているのは確かだった。行くしかない。僕は気を取り直して歩き始めた。光に近づくにつれ、ポケットの中の石は熱くなっていった。僕は確信のない確信に飲まれていた。
「間違いない、この道を進むんだ」と。光は近づき、そしてそれがなにかやっとわかった。
貝殻だった。
ケイコが昨日一生懸命拾い集めた貝殻、そのひとつだと思う。玉虫色の貝殻がキラリと光に反射して光っていた。そのとき、予想外の展開となった。
崖だ。
こっちの崖に僕、あっちの崖に貝殻。
崖はかなり底が深そうで、おちたら命はない…と思った。けれど、呼んでいるのがわかる。向こうの崖から、貝殻が、ケイコが呼んでいるのがわかった。例え落ちてしまうとしても、僕は呆然とここにいるわけにはいかない。ポケットの中の石は熱かった。もう行くしかない。

僕は助走をつけて、力いっぱいのジャンプをした。

―地図―

ケイコは下絵の進み具合もなかなか出来ずにいた。
「おっそいなあ、なにやってんだろ…。」
と呟いたときに、僕はドアをバタンと勢いよく開けた。
「あ、帰ってきた。おかえりー遅いよー。」
とケイコが言うと僕はそのままケイコを無理やり抱きしめた。
「なに?ど、どうしたの?」
「帰ってこれた…。」
「え?」
帰ってこれた、ここに。崖に向かって精一杯の力で飛び込んだ僕は、気がついたらコンビニの前にいた。
まるで今まであったことが嘘だったように、そこには景色があった。
「ねえどうしたの?なんでこんなに遅かったの?ビールぬるいじゃん。」
「話すと長くなる。」
不思議そうな顔で僕を見るケイコに、僕は言った。
「ひとつ報告することがあって。」
「うん、なに?」
「石。」
「は?」
「石が割れた。」
あの白いきれいな丸い石。老人が「前 後」と書いた石がポケットの中でこなごなになっていた。
「なんでー?」
ケイコは驚いて言った。
「いちから説明するから。」
やっと落ち着いた僕はケイコに言った。
「地図は?」
と聞くと
「全然!1本道書いた。で、そこに貝殻置いてみた。途中でマジックのインクが切れちゃって、買って来て貰えば良かったなーって。」
地図を見ると、一本道の線が途中で途切れている。
「これって…。」
呆れて言葉が出ない。こんなことがあるなら、もっとわかりやすい目印をつけさせるべきだった、と僕は苦笑いした。
「なに笑ってんの?」
「別に。もっと進めて明るい地図にしよう。」
「うん。オッケー!」
僕は異次元に迷いこんだんじゃなくて、ケイコの地図に迷いこんだだけだったんだな。

やれやれだ。僕にとって、忘れたくても忘れられない夏が終わろうとしていた。

<END>

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