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随分沢山のものを失くして来た。失くして来たと思う。何を失ったかも覚えていないくらい、或いは小さなものだったのかもしれない。両手の指の隙間からぽろぽろと零れ落ちる様に。最初から持ってなどいなかった、持っていると錯覚していたものかもしれない。純粋な心で見ていた世界はどんなに綺麗だっただろう。何も知らないでかき集めた楽しいは、どれほど透明だっただろう。忘れたくなかった。忘れたくなんてなかった。朝の陽だまりの匂い、母と作ったクッキーのこと、父に抱き上げられた日、弟が生まれる日のこと、ピンクのギンガムチェックのワンピース、お気に入りのぬいぐるみ、赤い野いちご、祖父の家で従兄弟とBBQをした事、初めてのタコさんウインナー、眠れないお昼寝の時間、ローズピンクのランドセル、他愛無い話、木造校舎の階段、木の葉の飯事、祖母の味噌汁の味、初めてものを書くことを覚えた日のこと、師匠の死。ベースを持ってステージに立った高揚感、大好きな人のライブのこと、夏の匂い、好きだった人のこと、初めての東京の、なんとも言えない感情のこと。鼻の奥がつんとするような、張り裂けるような夜行バス。全部持ったまま、ひとつも零さずに死にたかった。全部が私を型作っているのに、思い出せないことが歳をとる度に増えていく。憶えていたいことを忘れていく。これ以上はと、その度に思うのに。忘れていくのが大人になることなら、子供のままが良かった。いまのことをせめて、どうにか思い出せるように形にする。ひとつだって失くしたくない。ひとつだって忘れたくない。全部をガラスに閉じ込めていけたら、どんなに良いだろう。