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腑に落ちる「理由」はなぜ必要なのか?

こんにちは!

専門学校の先生を始めた中で非常に難しいと感じているのが、私が言っている事を理解してもらう事です。一回り以上も離れた若い子に、私の考えを理解してもらうにはどうしたらいいのか、日々考えております。

職場の中で当たり前のように決められている暗黙の了解のようなルールがあり、そういうルールをなぜ守らなければいけないのかを生徒に教えるようにしています。

具体的には「あいさつをなぜするのか」や「時間をなぜ守らなければならないのか」といったような簡単な事を説明する事が多いです。



簡単なルールほど説明するのは難しい


こういういかにも守るのが当たり前のようなルールは、実は説明するのがすごく難しいのです。当たり前に守ることだけに、これらのルールを守る理由を問うと「当たり前だから」「社会人としてのマナーだから」といったような抽象的な言葉に落ち着いている事が多く、多くの人はこれ以上深掘って考えようとしません。

たしかに「社会人としてのマナーだから」と言われると納得してしまいがちですが、そもそも「社会人としてのマナー」という言葉の意味を、使う側が理解しているかというとそうでもありません。

この「社会人としてのマナー」ですが、説明しようとするとすごく難しいのです。なぜなら「社会人としてのマナー」というのは抽象表現で、この表現の中にはたくさんの具体例が詰め込まれています。

その中には冒頭にもあげた「挨拶を行う」や「時間を守る」などが含まれており、それぞれの事象ごとにやるべき理由は違ってくるので、「社会人としてのマナー」を守るべき理由をひとくくりにして伝える事は非常に難しくなります。

(実際には、具体の事象ごとの理由を抽象的な概念に落とし込めば抽象的な理由付けは出来ます。しかし説明が長くなるので、ここでは割愛します)



頭が悪い人はわからない事をわからないままにする


それでは、なぜあらゆる事象の理由を伝えられない人が多いのでしょうか?

それは、普段から疑問を持つ癖を持たないからです。

例えば、頭が悪い人はわからないことをわからないままにするという習慣があります。頭が悪い人は驚くほどの多くの事象についての理由を抽象的な概念での理解に止めてしまい、そこから先を調べようとしません。そのため、頭が悪い人が持つあらゆる事象の理由は、それっぽい感じの抽象的表現で極めてふわふわしています。

そしてその抽象的表現をもってして、教育指導に当たる事になります。理由を説明された子供達や若者は、なんかしっくりこない感を抱きつつも、大人たちにそれっぽい言葉であれこれと説得されて「中途半端な理解で納得してもいいんだ」と変に納得するプロセスを習得してしまいます。そして、そのまま成長する事になり、次の世代にそのプロセスを浸透させていくのです。

とは言うものの、一つ一つの事象の道理を網羅している人はほとんどいないと思うので、知らないから頭が悪いと言ってしまうと「ほぼすべての人は頭が悪い」という事になってしまいます。

さすがに頭が良い人でも調べない事はあるので、要は程度の問題です。



なぜ理由を伝える必要があるのか?


では、なぜいちいち理由を伝える必要があるのか?

それは相手に成長してもらうためです。

納得感にも段階があって、ありきたりな抽象表現で説明しても仮の納得感しか得られません。仮の納得感では、印象にも残りにくいため、言われた事を忘れてしまいかねません。というか、覚えておこうと思わない…それに「適当に理由を作っているんだな」とばれてしまうので、信頼を得ることができず、そもそもいう事を聞いてもらう事ができません。

対して、もうこれ以上考えられないというくらいに練りに練った理由を伝える事ができれば、真の納得感を感じてもらう事ができます。

真の納得感を感じてもらえれば、理由は相手の腑に落ち、事象と理由にストーリー性を感じる事ができます。まず、このストーリー性は感情に働きかけます。感情に作用する事象は人の記憶に残りやすくなります。

さらに、「しっかり考え抜いて理由を考えているんだな、、、すごい知識だ!」と納得を超えて感動のレベルまで達すると、強烈に印象として残り、そう簡単に忘れなくなります。というか、「すごい希少な情報だから覚えておかなくちゃ!」という意識になります。

人は希少性に対して敏感なので、理由とともにその理由を作り出した人自体にも希少性を感じてくれ、信頼感を得る事ができます。信頼感を得る事ができると、こちらの言う事を聞いてもらいやすくなります。



真に自分と相手の成長を考えよう


理由の重要性をお話ししてきましたが、一つ一つの理由を深堀するのは正直骨が折れます。どんな事象でも理由を考える事は簡単な事ではなく、少なからず時間もかかります。

しかし、自他の成長を考えるなら、避けては通れない道ですし、中途半端な知識を身につけてしまうことで苦しむのは、自分自身です。

逆に、この理由を考える癖をつけることで、質の高い知識を習得できることになるので、市場価値も上がっていきます。自身人生の幸福度を上げて、次世代や周囲の成長を後押しできるように、理由付けを習慣化してみませんか?



それでは、今回はこの辺で!




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