自分を作る
自分という人間を振り返る。vol.5
後ろを向きたくなる事もある。転げて、立ち上がれなくなる時もある。何もかもやりたくないという感情とニラメッコなんて日常茶飯事。
だけど、前へ向かなけりゃ、何も生まれない。
立ち上がらせてくれるのは、過去の努力した自分の数々の副産物。自己の努力が他者に刺激を与え、言葉という形で返品される。その言葉の数々が今の自分を保つきっかけを作る。また、その言葉の数々が日々のプレッシャーを作り、逃げ出したくなる時もある。超ゲキムズ。
人間の感情のコントローラーはどこにあんだ?
探しても見つからない。だけど、いつだって思う。過去の加藤利光にだけは負けてらんねーーって!
こんな感情のサイクルで見事に復活を遂げる。つくづく単純な野郎だ。
その言葉の数々を残しておこう。
すぐに見返せる場所にとっておこう。2つだけ。
秒で復活できるようにだ。
このコメントでテンションキープを余儀なくされました。いつだって、自分を作るのは他者の存在である。何度も奮い立たせてもらいました。ありがとうございます😊先輩☆
もう一つ。
未来を見据えるときに、過去を振り返るのは自然な流れで、私もそれに倣った。多く思い出されるのはここ1年の記憶、4月、彼は静かな教室に大きな足音と共に入ってきた。一目見て分かる異質さ、一言しゃべるだけでわかる彼の特異さ。今まで会ったことのない人種だった。ここからこのクラスが始まった。
バス、彼の持つクラスとは切っても切れないもの、なくてはならないもの。それはこういう催しが嫌いな人からすれば地獄だ。それは一発芸大会。毎回彼の受け持つクラスは、遠足のバス内でこれをやる。ただの教師がそれをやれば非難轟々でいきない学級崩壊のところだが、彼にはそれをさせない不思議さがあった。
文化祭、彼の元では、よくあるこれも大きく変わる。今までにないものを作るといい、私達がやったのは、前人未到の映画撮影。何もかもが目新しく、確実に何かを創り出しているという豁然たる感覚があった。
君は信じられるだろうか、このクラスでは数学の成績が席順に直結していることを。知っているだろうか。それを楽しみにしている生徒の顔を。普通なら考えもしないことを嬉々として行う、このクラスは異常だろうか。
修学旅行、スポーツ大会はもちろん、定期テスト、あまつさえただの授業ですら特別な何かに変わる。今までの古い考えはすべてなくなり、新しいものを求めるようになる。彼の、加藤利光の魔力はすさまじい。
次は何をするのだろうか、否、次は我々がするのだ。彼から学んだ1年で、最後に最高を創り上げる。それが、彼に出来る最後の恩返しだろう。
まだ答えは得られていない。だが、この先にこそ答えはあるはず。時間をかけて得た大きな収穫は、それだけだった。
引用:学校文集(クラスの生徒より)
言葉の数々を振り返り、ふつふつと我に帰る。他者によって自分が成されていることに、気づくのである。他者の意見で加藤利光は形作られているのだ。真の俺は、超弱くて、ビビリで、怠け者で、飽き性で、頑固で、クソワガママなのに。俺を見た他者は、このようにポジティブに捉える。だから、今日も自分を上回る加藤利光を演じる。それも、楽しさの1つである。それが、性格というものなのだろうか。
また、自分が他者の性格とやらを作るのかもしれない。そう気付いてからは、俺は決めたんだ。
人を貶すことの無意味さを痛感し、褒めることで人を形作る大切さを。人のパワーになるということを。
だから今日も、口から出る言葉は、常にプラス!誰かに言われた言葉だ。
『吐』くという言葉の意味だ。『口』から出る言葉には、『+』(プラス)と『-』(マイナス)がある。だから『吐』くと書く。だけど、『-』を無くして、『+』だけにすると『叶』うになると。
まさにそうだと信じている。周囲をハッピーにするのは、己のプラスの言葉であり、自分の周りが自分を形作ったように、自分って意外といいヤツじゃんって勘違いさせていればいい。それが性格となり、個性となり、自信となる。周囲の感情で、性格は築かれる。良い性格を創り出す人間であれ、俺!
今日も俺の回りはハッピーだ。何でかって、俺がハッピーだからだ。俺が形作るからだ!
やべー文章書いていたら、一気にマイナスな感情から、超ポジティブに変化した。ビビビビビるわ。不思議。
よし、気合が入った。
いくぞーーー。
学校。
生徒に還元😁子供に還元😆