天才という失礼な誉め言葉
こんにちは。こんばんは。おはようございます。
今日は「天才」という言葉について考えてみたいと思います。
きっと「天才」という言葉は一般的に誉め言葉として使われていると思います。
対象者に敬意を表する分には良い使い方だと思います。
しかし、才能をあたかも天からの授かり物だとしてしまう事はその影にある努力や苦悩を無視してしまう表現にもなってしまいます。
なので使う対象者やタイミング、シチュエーションといった状況の違いで誉め言葉にも失言にもなる慎重に扱うべき言葉だと感じています。
特にSNSなどの普及で能力の高い人への誹謗中傷などからか、世間から天才と言われる有名人がポロッと、天才という言葉で片付けられる虚しさみたいな事を言ってる動画などもありました。
SNSという世界は何を言っても叩かれます。
それは多様な世界観が交差する世界だから仕方ない。
※仕方ないとは誹謗中傷を良しとしている訳ではありません。現状では必ず叩かれると事実に目を向けているだけです。
なので当然ですが努力至上主義、能力主義的な発信にも刃は向けらます。
世界には能力が低い人も、努力できず欲望に負けながら生きている人が沢山居ます。
そーいう人達が人間として下等に聞こえてしまう発信も如何なものかと思いますが、
それと同等に「天才」という言葉で努力や苦悩を無視してしまう発言もまた、愛のない表現だと思います。
勿論、中には産まれながらに遺伝子的理由などで脳のスペックが高い人「天才」と言われる人もいるでしょう。
そーいう産まれながらの天才であったとしても嫉妬心というメガネで見てしまえば失礼な表現に変わっていくのだと思います。
大切なのは
言葉とは
人の背景で変わるという事です。
青色のボールを投げたつもりでも
背景色によっては
赤色でキャッチする相手もいるのです。