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自分が自分でいいと思える場所へ

居場所、ないな。


って思ったことはないだろうか?

私はある、しょっちゅう。

今思えば、多分子供の頃から何かしらの違和感はあった。

(仲良しと思われる)誰かといてもどこか無理をしている。
常に顔色を伺って相手に合わせて、本音は言えない(変なこと言って嫌われたくない)

この私の思考の根底にあるのは恐らくとある事実があるのだが、今回はそれは省く。


この空間にこの人達とずっといると疲れる。早く出たい。

そんなことばかりで、一人になる時間の方が楽しかったと思うこともしばしば。

自分がなんとなく異端、ここにいるべき存在ではないなとはどこか常に思っていた。理由はわからない。
それでも周りとは合わないけど、合わせないと学校社会では生きていけない。と必死だった気がする。

誰も知らない場所に行きたい。
なんて、しょっちゅう思ったし、

誰か私を必要としてるのかな?
なんてよく感じた。


そうやって仮面を何重にも付け、10代、20代過ごした。

そして30代半ばで限界がきた。

心身ともに不調になり、休職を余儀なくされ社会から外れた。
適応障害だった。
主な理由は職場環境、人間関係だったが、
それ以外にもつもりに積もっていたのだと思う。


今まで大病?らしくものはなく、健康体だと思ったので、聞いた時ショックだった。

だが、同時に安心もした。

私、病気なんだ。
なら仕方ないと。

とりあえず住む場所とか最低限の生活には困らない。それくらいの蓄えはなんとかあった。

でも、正直この先不安で仕方なかった。

元々居場所があるような人は、頼れることが出来たのだろう。
でも私はない。
もちろん家族、両親はいた。
だが、病気について深くは話せない。
休職の話なんて誰にも出来ない。
誰も周りにいなかった。

理解してもらえないよ。
みんなが出来ることがどうして出来ないの?

弱いからだと怒られる、迷惑かける。
もう、やだ。
どうしたらいい?
そんな感情がぐるぐるしていた。


あまりにもメンタルが底無し沼状態落ちていたので、公的機関、個人の支援活動などを探す気力もなく、そこからしばらくはひたすらに感情のままnoteに書いて、人様の記事読み漁る日々だった。
とは言っても読んでいいね。をするだけ。コメントするそんな余裕もなかった。

思った以上に休職の人(書かれてる)も多く、私の記事を読んでくれる人も意外といた。

フォロワーさんも確か10人いかないくらいだった。

まれにコメントまでくれた人もいた。
もの凄〜〜〜く、励まされた。
私を受け入れてくれたんだと勝手に都合のよい解釈をしていた。



きっと当時、私の心の居場所だったのだ。
ここで書けなくて一人悶々としていたらここまで回復は出来なかったと思う。
この場を借りて感謝を申し上げます。

そして、今、不定期だが、
休職や復職中向けの人のためにカフェを開いている。

カフェとは名ばかりだが、部屋を借りて飲み物を飲みながら思い思いの話をする。
安心安全な場所で。
お悩み相談とはちょっと違う。ただおしゃべりするだけ。
話すと言うだけで気持ちの整理にもなるし、多分答えはもう各々もっているから。


本当のイメージとしては、
街の片隅にひっそり佇み、ふらっといつでも入れるようなカフェを作りたい。

ただコーヒー一杯だけ飲んで、
一人ふぅ。
とひと息いれたり。

読書したり、誰かとおしゃべりして。

ああ、私、ここにいていいんだ。と思えて。

帰る時にはほんの少しでいいから、
気持ちが軽くなるような。

ここにいるとホッとする。自分らしく過ごせる。
一人じゃない。


そんな心の居場所を作りたい。


私の場合お気に入りのカフェが居場所に近い。
だからこそ自分でも作りたいと思う。

休職や復職を体験したからこそ、同じような思いをした人にほんの少しでも力になりたい。

単なる過去の記憶として、なかったことや忘れたりはしたくないから。

理想には程遠いけど、それでも今出来ることはやりたい。
次は3月予定。

過去の記録。




まとまりはないですが、非常に気になった企画を拝見したので、書かせていただきました🙏




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みけにゃん
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