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長文について考えた話

(気泡、綺麗です。見てたら水の中に潜りたくなりました。素敵な画像ありがとうございます)

私は昔は長文が好きだった。

あくまでもコミニュケーションとしての話

手紙なら5枚近く

メールならスクロールしないと読めないくらい。

それだけ相手に伝えたいことがある。

私自身も嬉しかった。

私の為にこんなにも書いてくれたんだ

だからそれでいいとずっと思っていた。

が、ある時一変した。


婚活で、言わばマッチングした方とメールのやり取りを始めた。

その時は良くわからず、手探り状態。

私も多分結構な長文で書いていたのだろう。

そして相手からの返信に驚いた

私の倍以上は書き、頻度も多い。


最初はそれに応えようとしたが、ある時からシンドくなった。

返す前に次、次、とメール読むのすら嫌になった。

何故そう感じたか?考えた。

答えは一つ。

関係性が出来上がってないのに

距離を一気に縮めようとしていたから。

多分だが、これがある程度関係性が出来上がり、

相手に対して好意を抱くようになったら多分嬉しいだろう。

そうでないと大変申し訳ないがメール返信がただの作業、義務、苦痛にしか過ぎないと私は感じた。

無論感じ方はそれぞれだし、最初から嬉しいと感じる人もいるだろう。

それは価値観が近いと言うこと。


ずっと良かれと思っていたことが違うと感じ、ショックではあった。


私はその日以来、少し考え方が変わった。

長文が間違いとはもちろん思わないが、

簡潔、シンプルも大事だなと。




Twitterなどが好まれて支持されるのはまさに140文字などの短文、にあるだろう。


要は言いたいことがちゃんと伝われば良いのだから。




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