ほんの10メートルも歩けば名古屋市(名東区)になる、そんな所に暮らし始めたのは、自分がもうじき30になるという頃だった。あの頃、長久手は市制移行前の長久手町だった。 自分は長久手図書館のある見晴らしの良い丘まで歩く事を日課の様にしていた。その丘からは遠く尾張旭や瀬戸の長閑な丘陵が見える。 自分はこの丘まで行く道々、色々な事を考えながら歩いた。今取り掛かっている絵の事、これからの事、彼女の事。それらがごちゃまぜになってあの丘の頂に今も残っている様な気がする程だ。 彼女は
旅日記から(画像はトンレサップ湖まで行く道) 26th Oct, 2001 昼を近くのレストランで済まし、その後シェムリアップ川沿いをぶらつく。それから予定通り、午後4時からトンレサップ湖へ釣りに行く。 熱帯の広大な土地をガイド男のバイクの後ろに乗っかって走り抜けていくと、やがて道の両脇が湖になった。トンレサップという、これまた広大な湖だ。そこでごく原始的な釣り竿と餌のエビを買ってガイド男と2人で小さな舟に乗る。 (中略)――広大な湖には水
昔ロンドンの美術学校に居た時、ある人が言った。 「アートってさぁ、まずは感情表現じゃない?」 感情よりもまずは技術だと言う自分に、同じ日本人の彼女はそう当てつけた。 馬鹿言ってんじゃねえ、お前の感情なんて如何ほどのものだよ――と、うっかり口に出かけたけれど、意外と創作にはこんなお花畑アタマもいるんだ。 今日も無事ケガもなく終わりました、なんて、毎日大した変わり映えのしない社会生活を繰り返している人間が全てを出したところで何になるんだよ。 感情の表現なんてのは、自分で
とかく日本のおよそ多くの美術愛好家という人達が触れたがるのは欧米の美術、アートである。 一方で、今現在進行形にこの日本国内でうごめいている無名作家達の動きなどはまるで気にしなくても結構だ、というのがそれらの人達の不文律に違いない。誰かが声を確かに上げるまでは黙っている悪癖が身に付いている(snsは別の話)。 勿論、現在活動中の作家達(自分も含め)のモノが「美術」「芸術」に足るものかという大問題は別にあるにしても、常に無名の者達が未来を創っていくという摂理には目をつむって