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本の厚みと属する集団の時間軸とSDGs

薄い本の魅力について、想いを馳せたい。

本のジャンルにもよるが、せっかちな私には、早く読めて、要点が抑えやすい。
周囲の時間軸に合わせて行動しなければならない場合、要点集というような本はありがたい。
物語でも、起承転結部を抜き出して要点を押さえていると、全体がつかめる気がする。
薄い本に魅力を感じる人はそれだけ、時間に追われているのだろう、と言えるのだろうか。

個人的にお気に入りのアメリカのコメディ Curb Your Enthusiasmの中で、知人の出版記念の際に、まずは出版したことに対する賛辞の次に、本の厚みについて語っているシーンがある。本のタイトル「 Acting Without Acting」に起因するかもしれないが、本の厚みが「本」というほどでなく、「パンフレット」じゃないかという意見に対し、演技しないで演技するというタイトルの本だから、演技しようとしないのだから表現することもあまりない、という意見が返ってくる。

本は厚くないといけないのか。そうしないと本ではないのか。その固定観念のために、表現が苦手な本の第一創案者(あえて筆者と呼ぼう)は要点だけ述べて、前後の表現を膨らませるゴーストライターが影で支えるのだろうか。

昨今の地球と環境を考えたSDGsの観点だけからいえば、紙が環境破壊に繋がるなら、薄い「紙」の本、薄い「デジタル本」こそが本であるという意見も出てくるのかもしれない。
その時に、パンフレットが反乱するのを待ちたいと思う。