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卒論

・この1週間、てんてこ舞いで書けて居なかったので、卒論の話を書くよ!!!!

・総ページ287になった。恐らく、同学類で一番重い卒論になったはず。時代は重さ。重い卒論が今、来てますよ!!!!

・私の研究は簡単に言うと「人の語りを記録して残すことにどんな意味があるのか」について考察するものでした。文化人類学、社会学、歴史学、文学等々を横断するテーマだったかなと思います。

 実際の内容的には、一章でインタビューの方法論を整理して、第二章で私が学生団体で設置していた交流ノートのデータを掲載・分析、第三章で岸政彦編『東京の生活史』(筑摩書房)やスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著/三浦みどり訳『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)を参考にして、大学内で行ったインタビューとの比較を行いつつ、「場」や「戦争」についての人の語りを記録する意義と、語り手と聴き手、読み手のコミュニケーションを分析した。最後に、第四章で語りが持つ能力と、「語り」という主観による不確かな言葉を記録することが何の役に立つのか、そして「自己について語ること」の意味を考察した。

・研究の内容を一口に説明するのは難しいので、ここで書くのは感想になる。思えば、語ることの意味について考え続けた四年間だった。

 私がこのテーマを選んだのは、大学の講義の中で「語り」を扱った講義が最も面白かったからだ。大学二年?の時に取った講義で『ドイツ人の村』という書籍を扱った。そこでは、戦争体験を語らずに死んだ父と戦時中の父の所業を知って自殺した兄、兄の痕跡を追って父の過去を知る主人公の三者が描かれていた。この講義のレポートが一番筆が乗ったし、実際優秀として褒められた。きっと、この時からこの研究テーマに進むことが決まっていたのかもしれない。
 私はこの講義で「語らない優しさと語ることの罪」について書いた。語ることで次の代に罪を背負わせるなら、黙って死ぬのが優しさかもしれない。しかし、残されたものは語られなかったことを裏切りに感じることもある。ではどうすればいいのか。私は明確な答えを見つけられなかった。

 その疑問の以前か以後か、私は教職課程を辞めた。やめるための書類には担任のサインが必要だったのだが、コロナ禍で担任は遠方の自宅にいたため、郵便で送るしかなかった。紙ペライチをゆうパックに入れて郵送、というのは勿体なかったので、「本を読んで感想をまとめています」みたいな近況を添えて送った。
 驚いたのはその返信だった。担任の先生は郵送代金くらいの可愛い切手を同封してくれた上、一冊の本をくださった。それがパスカル・キニャール『さまよえる影たち』(水声社)だった。様々なジャンルの別々の内容がツギハギにつなぎ合わされた不思議な小説は、私の心を打った。

「分からないけど、分かる。」

 分からないけど、何となくわかる気もする。そんな面白さがある作品だった。その本自体はそれだけだった。ただし、数日後友人とコインランドリーに行ったことが転機となった。コインランドリーに交流ノートがあり、それが面白かったのだ。最初は寮に置こうという話になったものの、セキュリティとか衛生面を考慮して計画は立ち消えになった。それから数か月の間は特に何も考えていなかったのだが、ある日『さまよえる影たち』と『交流ノート』が頭で結びついた。交流ノートが面白いのは、様々な文体かつ内容が一つのノートにまとまっているからではないだろうか。思い立ったが吉日、すぐさま企画書を書き上げて、大学の支援室に持ち込んで学生団体を立ち上げた。それが『匿名note~筑波大学交流ノート~』だった。
 立ち上げには数か月を要したものの、教授陣や支援室の方を説き伏せて何とか実施にこぎ着けた。約一年間、大学の6箇所にノートを設置して、他大学に置かせていただく機会にも恵まれた。YouTubeやラジオに呼んでいただいたりもした。0から企画を作るのは初めてだったので、形になっていくのが面白かった。
 やがて、この企画を運営しているうちに、ノートの記述から『場』の特徴が読み取れることに気が付いた。様々な人の語りが集まることで、設置場所や筑波大学自体の姿があぶりだされるのだ。そのことに気が付いた時、「じゃあ、人にインタビューして、ノートと比較したら面白いかもしれない。」と思った。それが今の卒論のスタートだった。そこからインタビューをしたり、参考資料をまとめたりとてんやわんやして、この間完成した。

・こうして流れを書いてみたり、自分で卒論を読み直してみると、「自分の四年間の具現化だ」と思えて嬉しい。学生団体の活動は就活等で面白さを伝えるのが難しくて無駄になったかと思ったけれど、卒論に何とか組み込めてよかった。
 改善点はあれど、納得するものを書き上げられた。大学に入って勉強した、その意味があるものを作れてよかったと思う。オリジナリティという面でも自信がある。出しゃ卒業できるんだろうけど、そこで適当に済ませたらその後も全部適当になっちゃうんじゃないか、と怖い。大学は勉強する所、とまでは言わないけれど、自分が勉強したことが活きていると確認できるのが卒論なのかな~とは思う。まぁ、別にええんよ。
 書くのは大変だったけど、文章を書いたり考えたりするのは好きだから苦しくはなかった。いや、先生の赤入れは大変だったか。その時はグループlineで作業配信をしたりして乗り越えた。友情パワー!(パワー!)

・卒論にそのまま書いてはいないけれど、この論文の裏テーマ(結論)は「語りの記録とは、人間賛歌。」である。あるいは、ジョジョでもある。自分の人生について人が書く/語る中で、どうしても人に聴かせる物語として再構成が行われる。大変な記憶も辛い過去も、語りの中では自分の人生に連なるものとして受け入れる。そのことで、自分のこれまでの人生を受容して、肯定できる人生を生きる決意を固められる。端的に言うなら、語ることは振り返ることだ。これまで歩いてきた道のりを思い返して、その中にあった出来事から自分の原点や価値を再確認する。そのことで自分の人生の形が捉えられる。これまでを語ることは、これからを生きる意志になる。人生を歩き続ける自分へ、あるいは同じくぜぇぜぇで生きる人へのエールになるのだ。

・研究の中で面白かったのは、インタビューに答えてくれた人が語った一年後と実際の一年後が結構違うことだ。本人たちも「全然違うね」と面白がってくれた。これも語りの面白さだと思う。人の過去の言動なんてあてにならないのだ。人は変わり続けるから。だから、語りとして一瞬を切り取ることが面白いのだ。選択や考え方が180度変わっている人もいれば、全く違う方向に進んでいる人もいた。大切なのは、今を見ることだと考えている。語りは常に過去を語り、その人が生き続ける限り、すぐに過去へと変わっていく。
 これは研究の趣旨からは離れるけれど、「過去にこういう言動をしていたから、こいつの本質はこうだ。」と決めつけるのは危険だという話でもある。過去は変えようがないし、その人の中で何度も引き出される中で増幅し、そこにその当人は存在していない。自分の記憶で過去のその人を語るのではなく、今のその人を見て、その人について語る必要があるのだと思っている。人は変わり続ける、ということは「変わってくれるかもしれない」ということでもある。変わってほしい部分があるなら、働きかけてみるのも悪いことではないだろう。人の過去をずっと見続けていても、そこに本人はいないのだから、自分が作り出した尤もらしい言葉以外は手に入らない。その言葉は自分を楽な方に促すだけだ。その先には、自分しかいない。
 
・インタビューや学生団体の活動の中で、様々な価値観と向き合うことになった。皆、それぞれに学問のとらえ方や将来のとらえ方があって面白かった。卒論にかこつけてじっくりと一対一で話ができたのは良い経験になった。

・ここまで感想を書き出してみて、やっぱり先生に出会えたことが私の大学生活の転機だと感じた。先生との出会いは、間違いなくこの大学に来てよかったと思わせてくれる経験の一つだ。

・あとは無事に卒業できることを祈るだけ。

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