カレンダーの景色を見に行く旅【滋賀 箱館山】
・我が家のトイレにはカレンダーがかけられている。毎年種類が変わるのだが、ひとつ傾向がある。それは、各地の美しい景色をテーマとしたカレンダーが飾られることだ。トイレに入る度に「行ってみたいな~」と新鮮に思う。ただ、それは身分差の恋のように、ただ遠くから眺めているに過ぎない。心の中には「どうせい行かないだろうな」という思いがある。だからこそ、景色を新鮮に楽しめる。
・8月の景色は色とりどりの風鈴が並び、虹のようなグラデーションを作り出している何処かだった。いつもと同じようにトイレに入る度に何となく綺麗だな~と思っては行こうとは思わずにトイレを出る。その繰り返し。
・そんな日常が変わったのは、母親の一言だった。
「ここ行こうか。」
私はよく見ていなかったのだが、家から十分行ける距離にその場所はあったらしい。唐突に小旅行が決まり、翌日には滋賀の箱館山へと出発した。
・3時間と少しかけて到着したのは高い山の麓の駐車場。ここから頂上近くまではゴンドラで上がるのだという。暑さのせいか、人はそれほど居ない。私達は無人のまま回ってきた内の一つに乗り込んだ。
・ゴンドラは高所恐怖症泣かせのスピードでグングン登っていった。ゴンドラって乗る度に、絶対落ちたら死にますよ~みたいな乗り物だと思ってしまう。上のケーブル一本でゆらゆら登り、その下は急斜面。ブチン、と切れたらゴロゴロ転がる未来が見える。実際はブチン、グシャリかもしれない。
・ぷるぷると震えている間に頂上へ。冬はスキー場らしく、ゴンドラ付近は平坦な広場になっているだが奥には高い丘がそびえている。夏にスキー場に来たのは初めてだ。雪以外も意外と似合うじゃん。
・高い立地を活かしたフォトスポットが各所にあるらしく、順番に回ってみることに。
・まずは、大本命の風鈴棚。
・写真で想像していたよりささやか~というのが第一印象。でも棚の中を歩いていくと、そのささやかさに意味があると理解した。音が美しいのだ。
風に揺られた風鈴がひとつ、またひとつと音を奏でる。その音色は酷酷酷暑に蝕まれた心身に染み入った。これが風鈴が沢山あると、ここまで静かで涼しげな音色にならないだろうなと思った。
赤い風鈴、りんご飴みたいでめっちゃ美味しそう。
・なだらかな丘にはモリゾーとキッコロの幼生みたいな植物が所狭しと生えていた。
・次に向かったのが上の写真に映っている天空への扉、みたいな場所。その向こうが開けていて、ゴンドラから見えたような美しい景色が見えた。視界に何も遮蔽物が無い場所で空に向かって白い階段が伸びていて、それを登る。結果的にはちょっと高いところに登ったくらいでしか無いのだが、謎の高揚感があった。遮るものが無い開放感だろうか。
・その次に、リフトで移動した更に高い場所にある巨大ブランコへ。アルプスの少女ハイジを彷彿とさせるブランコ。座ってみると、先ほど同様綺麗な琵琶湖や町並みが見える。でも、高い場所にあるからこそ、さっきまでいた白扉の場所等が見えてしまって絶景とは言い難い。しかし、漕いでみると見える景色は一変した。
助走をつけて、地を蹴る。勢いづいたブランコは私を乗せて限り無く前方へと飛び出す。ブランコが再び元の位置に戻るまでの間、私の目に映っていたのは自分の足と空、そして滋賀の町並みだけだった。空の上でブランコを漕いでいるようなそんな気分。鎖で繋がれているのに何処までも飛んでいけそうな気がした。
・数時間ずっと外に居ると疲弊してくるのが人間というもの。すっかり遊び尽くしたので、再び風鈴棚を通ってゴンドラへ。
・それからまた3時間程かけて帰宅。風呂で疲れを癒した後、トイレへ。そこにはいつもと同じようにカレンダーがかけられている。今日はここに行ってきたのか、と思うと不思議な気分だった。綺麗な景色の写真を見た時、どこかその実在性を疑っていたのかもしれない。こんなに綺麗に撮ってあるけど、実際そうでも無いんじゃないかとか。でも、箱館山の風鈴棚は凄く綺麗だった。目で見るのはもちろん、美しい夏の音色は行ってみないと聴くことが出来なかった。
・母が口にしなければこうして出かけることも無かった。私が学ぶべきはこの行動力かもしれない。何でも見に行ったり、やってみたりすることでその実在を確認して、新たな発見がある。そんなことを学んだ旅でもあった。
・近くのすず広さんというお店の美味しいご飯を載せてターンエンド!!