怒りに身を任せるな! 映画『アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師』より
上田慎一郎監督の映画『アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師』を観てきた。今回はその感想回です!!
いつもと同様、前半は雰囲気の話を、後半でネタバレありの感想を話します。ネタバレする時は予告するので安心してください。
あらすじ
税務署で働く真面目で気弱な男、熊沢二郎。ある日、彼は詐欺師である氷室に大金を騙し取られてしまう。一度は氷室を追い詰めた熊沢だったが、彼からある脱税王を狙った詐欺を持ち掛けられる。その脱税王は熊沢と深い因縁がある相手であり、不本意ながらも詐欺へと加担することに。生真面目な公務員と天才詐欺師、そしてクセの強い仲間達は「アングリースクワッド」として10億円を騙して奪い、納税させるミッションへと挑む。
感想(雰囲気)
率直な感想としては、面白かった。扱う詐欺が不動産詐欺で、Netflixで配信中のドラマ『地面師たち』と題材被っているというのは事前に知っていた。そのため、映画中も「これ、地面師で観たな。」という場面が幾つかあった。でも、むしろ観ていたことで不動産詐欺への理解に時間を割く必要が無く、物語の内容に集中できた。
ここで一つ言っておくべきなのは、『地面師たち』とは全く違うという所だ。『地面師たち』は暴力・エロス・ビターエンドのイメージが強かった。対して本映画はコメディ・家族愛・復讐のイメージが強かった。一応、復讐は『地面師たち』のテーマでもあったと思う。ただし、本映画では「復讐の先に何があるのか」を描こうとしていたような気がする。
この映画は基本的に空気が緩い。だから気を抜いて見ていられる。そこは『コンフィデンスマンJP』と似ているかもしれない。違う所があるとすれば、やはり緩さの中で「復讐」と「怒り」というテーマを扱っている所だ。
あと、良いなと思ったのは、観客が引っかかった部分をちゃんと回収していくところだ。散りばめられた小さな違和感が後々活きてくる構成で無駄がなかった。伏線、と言ってしまえば簡単なんだけどちょっと違う気もする。追尾する散弾銃みたいな感じかな。リボルバーなら弾数を数えていられるけど、散弾銃だと数えられない。その上、無駄な弾かと思ってみていないと後ろから撃たれる。その位緻密で速い感じがある。普段、ショートドラマも作られているし、その辺から来る展開の速さなのだろうか。
感想(微ネタバレ)
真面目な公務員の熊沢は後十年で退職、という所で脱税王・橘が関わるトラブルに巻き込まれる。幸いクビにはならなかったものの、ストレスを抱えていた所で氷室と出会う。そこで氷室から橘を騙す詐欺に誘われる。熊沢には妻と娘もいて、あと少しで円満に退職できる。わざわざ犯罪に手を染める必要ない。
しかし、熊沢は詐欺に加担することに。彼を突き動かしたのは怒りだった。実は熊沢と橘には、昔からの因縁があったのだ。一度は見ないふりをしていたものの、再度橘とのトラブルに巻き込まれたことで、橘への復讐に燃えることになる。
そしてそのまま仲間を集めて詐欺という流れで映画は進む。その中で、氷室もまた橘を狙う復讐者であったことが判明する。氷室は橘が関わった事件によって家庭を壊されていた。ここで正反対な熊沢と氷室に「復讐者」という共通点が生まれる。ここが良い。
この流れの後、フィクションっぽく自分の身の上話をした氷室に、熊沢が言った「それでその後、その詐欺師はどうなるんだ。」というセリフが印象的だった。幸せな家庭を壊されて、詐欺師になった氷室は復讐を果たした後、どうするのか。熊沢も自分が復讐を望んでいるからこそ、尋ねたのだと思う。復讐者に幸せな未来が待っているのか、不安が募ったのだろう。
氷室は父親の時計を付けており、その時計の針は止まっている。それは氷室の人生が過去の一点で止まっていることを示しているのだと思う。常に飄々として軽薄な笑みを浮かべている氷室の心は過去から動いていない、そこを熊沢は不安に感じたのかもしれない。
復讐のために犯罪に手を染めていいのか、一度復讐者になったらもう元に戻れないんじゃないのか、一体どこまで行けば復讐の完遂と言えるのか。そもそも復讐に意味はあるのか。実際、熊沢も親友や部下から問われることが、見ている側としても頭を過る。そして、「公務員という安定したイメージのある職を捨ててまで」というバフが乗ることでそれらの言葉は重みを増していく。
感想(本ネタバレ)
微ネタバレの項では、氷室と熊沢二人の復讐について軽く触れた。ここでは、二人の復讐の行く果てについて語りたい。
まずは氷室から。氷室は詐欺を通して橘に罪を償わせたことで、崩壊していた家庭が修復の兆しを見せる。止まったままにしていた時計も現在の時刻へと合わせ、家族に対して軽薄ではない優しい笑みを見せる。氷室の復讐は、止まっていた時間を動かすという影響をもたらしたのだ。奪われた家庭の団らんや名誉は取り戻せないが、意味があった復讐だと感じた。
詐欺師を扱った作品が人気なのは、人が直接傷つけられないことや知的でスリリング、そして弱者が強者を討つ義賊的な描き方をされるからだと思う。作品で描かれる詐欺師は、暴力で泥臭く奪うというよりも頭脳で鮮やかに騙し取るイメージがある。だから、観終わった後にすっきりした気分になれるのだと思う。その点で言うと、本映画はすっきりした終わり方に向かうかと思いきや、裏切りがある。終盤の熊沢は、暴力的な復讐への誘惑に揺れるのだ。
彼が復讐する理由は、親友が橘に追い詰められて自殺したことだった。詐欺を終えた熊沢は一人で橘の元を訪れる。そして、橘の胸倉を掴んで……
ここからは是非劇場で見て欲しい。他の詐欺系作品とは違って、熊沢は相手に働いている場所も素性もバレている。だからこそ、騙した相手の元を訪れるというシーンを作れたし、詐欺が完遂された後のほんわか感を突くスリリングな展開を作れたのだろうと感じた。実際、私も油断していたので終盤は驚かされた。
相手を物理的に叩いて殺してしまいたい。怒りを原動力にして詐欺に全力を傾ける陰で、ふつふつと暗い感情が育っていったのだろう。最初の怒りは親友を想ってのことだったが、それとは別に傲慢な人間を壊したいという怒りが湧いていたのだ。きっと怒るのが、壊すのが気持ちいいという感情になっていたと思う。
結局、熊沢は自分の職務に準じた復讐を行う。ギリギリのところで踏みとどまるのだ。熊沢は怒りを忘れたわけでも、相手を許したわけでもない。静かに怒りつつも引き際を見極めたのだ。熊沢は復讐に全てを捧げた人間ではない。公務員だし、守るべき家族もいる。過剰な復讐の先には破滅しかない。強者を痛めつける快感に誘惑されつつも、「何のために復讐を決意したのか」をもう一度見直したのだろう。ここが良かった。
大切なものを奪った相手に対して復讐するために、自分の人生を賭ける。この映画はそんな復讐者の在り方を否定しない。ただし、復讐に身を委ねるなというメッセージを感じた。
本映画では冒頭、「庶民が幸せに生きるコツは怒りを忘れることだ」みたいな台詞がある。庶民がどれだけ怒り、復讐しようとしても強者には叶わないし破滅しかないということを示唆する言葉だ。でも実際に生きている人で、怒りの感情を持っていない人はいないと思う。気に食わない人や理不尽な人生、SNSの不快なタイムライン。生きている間に怒りが引き出されるタイミングはどこかで訪れる。その時に怒るのは悪いことじゃない。感情自体に善悪はない。ただし、自分の感情が復讐の起因となった出来事や感情からズレたと感じた瞬間が引き際で、それ以上は復讐の炎で自分の身を焼いてしまう。復讐のために生きるのはいいとして、復讐に突き動かされる人生であってはいけない。復讐に生かされるようになった時、本当に復讐者になってしまう。終盤の熊沢はそんな恐怖に襲われたんじゃないかと思った。それとも私が感じただけだろうか。
復讐が済んだら、そこからは怒りを抱えつつも自分の人生を生きて、取り戻したものを噛みしめる。それもまた自分を陥れた人間たちへの復讐なのかもしれない。熊沢と氷室の復讐を見て、そんな感想を持った。
この映画は復讐者への道を引き返す勇気を描いた作品だと思った。仰々しいことを書いたけれど、映画として面白いとも思う。アダルトな描写が無いので、家族や友人とも気楽に見やすいはず。私は個人的にFGO奏章Ⅱイドとの関連を感じたので復讐者と絡めて書いたけれど、全然そんなこと気にしなくても楽しめます!!!!堅苦しい感想でごめんよ!!!!!!