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僕は綺麗な空を見たことがない



僕は空が好きで、空に憧れている。


いつか空を自力で飛んでみたいなと思うが、生きているうちにそんなことができるようになるかというと期待薄である。
空を飛んでいる夢を何度かみたことあるけれど、人の頭の上くらいの高さを体育座りをしながら、手は空気を下へ押し込むようにしてばたつかせて上下にゆらゆら浮いているという(水中で平泳ぎをしているような感覚だった)少々お粗末なものだった。歩いている誰かさんの横っちょに風船みたいに浮かびながらお喋りをしていた。
それはそれで気持ちよくて、自分らしいかななんて思ったりもするが、、、。


僕は人様が見ているであろうほどの綺麗な空を見たことがない。と思っている。
というのも飛蚊症持ちだからだ。
飛蚊症というのは、浮遊する黒い蚊や埃に似たゴミのようなものが見える状態で、目を動かすとそれに合わせてついてくるのだ。思い当たる方が多くいるんではないだろうか。
僕はどうやら人より症状が重いらしく、青い空、白い壁、暗闇なんかにいる時にうようよとそいつらがたくさん現れる。
とはいえ、普段の生活では忘れていることがしばしばで別段病気というわけでもなく、人間の目にはよくあることらしい。

小さい頃、家族で遠出をした時に、暇を持て余すと車の車窓からぼんやりと空を眺めて、この「浮遊するうにょうにょ」で遊んでいたことをよく覚えている。人に言い出しづらく、幼心にこれは正常ではないだろうなということは感じていた。いつだったかそれとなく親に相談すると、そんな体質ではなかった親は病気を疑って僕を病院へと連れ出した。そこで飛蚊症だとういことが判明するのだが、個人差があるらしく重度の人はテレビの砂嵐の如く、うにょうにょがはばをきかして生活するのが難儀になるらしい。それほどでなければ気にしないでくださいということであった(と思う)
とはいえ、空を見上げればヤツは現れるので、嫌でも意識してしまう。星空の場合も同じだ。夜眠りにつこうと部屋の電気を消すとかなりの数が顔を出す。
ヤツがうにょうにょと顔を出さないまっさらな空を拝んでみたくあるし、みんなが見ている空は僕の目に映るより幾らか美しいのだろうなと羨ましく思う。
僕の目は虚弱体質にあるらしく、幼少期にそれなりに気にかけていたのにもかかわらず、早い段階で視力が落ちしてしまった。なのであまり期待することはせずに、その目に光を享受できるだけで大変ありがたいと思っているので、この目に関してまったく悲観してはいない。むしろよくやってくれていると思っていて、自分の見ている景色に不満はないのだ。

話が少し飛躍してしまうけど、「この世の全ての生物がいなくなったら世界は何色になるだろう」という哲学者の問いが教科書の冒頭に載っていて、はっとした覚えがある。
高校生の時だった。
地球にいる全ての生物の銘々が知覚できる範囲でしか物事をとらえることができない。
人間さん、路地裏で寝ているにゃんころ、とその近くを飛んでいるハエくん、あちらでゴミを物色しているカラス氏、生物として備わっている機能が違うので、それぞれが捉えれている世界はまったく違う。じゃあ「この世界は実のところ何色なんやいな」となるわけだ。
僕が目を瞑っている間、世界は何色なんだろう。
思うに、世界は自分が見えているものより美しいものだと思っている。
そんな気がする。
自分なんかが世界を余す事なく捉えきれているはずがないよなあと。




みんなのあたまの上にはどんな空が広がっているんだろう。





12月に公演される共通舞台のパフォーマンス「milk」で音楽担当をさせていただきます。
初めての挑戦です。自分でもどうなることやらわかりません

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