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きんきんきん
「しんしんしんと降った雪の日はきんきん寒い(仮)」
寒空の下、道ゆく人たちはコートに頭を突っ込んで歩く。遅れてやってきた冬はこれからが本領発揮、どんどん寒くなってくるのだろう。
賑やかなの表通りを一本奥に入った静かな夜道をゆく。
店内ではもうずいぶん前からクリスマスソングがかかっているが、なんとなく冬らしくない日が続いた。
今日はエスキモーの本を読んでいた。エスキモーはアラスカやカナダに住む先住民族で、寒い寒いところに住んでいる人たちである。
寒い時期に「寒い本」「寒い曲」を楽しむのが好きだ。
星野道夫のアラスカについての手記を読んだのも寒い冬だったし、高校生の頃、寒い朝、通学の一番のお供は、アイスランドのシガーロスだった。
頬に当たる冷たく鋭い風、ちぎれそうなくらいに真っ赤になった手でハンドルを握り、ボーボー白い息を吐きながら、行ったこともない極寒の地に想いを馳せる。
(とはいっても寒い本を読むのはいつも暖かい室内で、これは冬にアイスクリームを食べるようなものでしょう)
そうやってエスキモーのことを考えていた。
僕が読んだのは六十年代に書かれた古本なので彼らを取り巻く状況が現在とはかなり違っているだろうなと思った。
その本の中でも、白人と接触することでエスキモー文化が年々変容しているということが書かれていた。容姿もそうだが、彼らは日本人と似たようなところがある。
日本だって西洋化して変わった国の一つでエスキモーたちと一緒だ、なんてことを考えているところで、白髪混じりの中年女性にいきなり話かけられたから、驚いた。
彼女が話しかけてきた最初の言葉は聞きそびれてしまったが、何か困りごとありそうなのが一目で分かった。
僕を引き止めた彼女は非礼を詫びつつ頼みごとを言った。
「私、静岡からやってきたのですが、お金が数十円しかなくて」
聞いたことがある手口だなと一瞬思ったけれど、彼女は懐からクオカードを一枚だし、クオカード500円分と現金500円分交換してもらえないかということを言った。
目をしっかり見て言われたものだからまごついてしまった。
風が吹いて寒いなあと一瞬だけ思った。
そして何も考える間も無く、財布を開いた。
ちょうど500円玉があった。
もうそういうことだと思い、彼女に渡し、QUOカードを渡そうとする彼女を制して、逃げるようにその場を立ち去った。
クオカードは未使用なものだったから、彼女はきっと人を騙そうとしているわけではない、ただ現金が欲しいだけなんだろうと思った。
では、500円でどうするつもりなのだろうか、一夜を明かすには足りないだろうし、24時間営業のお店にでもいって夜を明かすのだろうか。
エスキモーは極寒の厳しい環境の中で、強固な助け合いの精神を持ち合わせている。食うに困ったものには、惜しまず分けてやる、「妻貸し」なる奇習もそういった精神からくるもの。
500円じゃあどうしようもないじゃないか、話も聞かずに立ち去るのも薄情だったのかもしれない。
ろくすっぽ考えもせず、会話らしい会話もしなかった。面倒ごとから離れるための手切れ金みたいじゃないか。
なんだか釈然としない。
微かに彼女のありがとうございますという声が聞こえた。
詐欺でやってくれてたほうがマシだという気になった。
次の日にも同じ場所で同じ手口を他の人に使っているところを目撃できたならばいくらかマシかもしれない。
今日は寒かった。
きんきんきん。そんな冬の一日。
追記
去年書いたものをそのままにしていた。
すっかり忘れてた。友達に話そうなんて思ってたけれど、それも忘れていた。家に帰った後すぐ書いたんだっけ。
今はドフトエフスキーの死の家の記録を読んでいる。
はじめてよむ。
シベリアってどんなところだろう。