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ある誘い

宗教勧誘によく合う。遠征で徳島にライブに行った時、リハーサルまでに時間があったので公園で本を読んでると、品の良い夫人連中からこの近くの教会へ行かないかと勧誘を受けた。自分はここの土地の者でないことや、さっき徳島に着いたばかりだということ、ライブをこれからしにいくところだという事情を伝えてなるべくふんわりと断った。自身で創作してうたを歌っているということを伝えると、それならば演奏の力になるからと彼女たちと一緒に聖書の一節を復唱した。「ああ、またか」と思った。特にその夫人連中が不快であったというわけではなく、これでお声がかかったのが当月4回目だったからだ。
その日はライブのMCのネタになったからべつにいいけど、、。

昼間家でごろごろしていると、来客があり応対してみると宗教勧誘だった。というのはよくあるパターンだが、僕の場合はほとんど場合街中で声をかけられるのだ。信号待ちの間で勧誘を受けた時は驚いた。いくらとんまな僕でも赤信号になっている短い時間で口説き落とされるほど甘い人間では無いつもりだ。超絶便利グッズを営業されたって赤から青に変わるまでに決定を下すという、はやとちりはしないだろう。
しかも勧誘うけたのがこども部というものでそこは一般部、婦人部といった具合になにやら分かれているらしく、見せられたパンフレットにはみんなで一緒に宿題をしようだの、仲良く遊ぼうとある。いったいいくつに見られたのだろうと面食らった。ぼくは往々にして実年齢より幼く見られるのだがこれはひどい。中学生くらいに見られたのだろうか。

友人との待ち合ちあわせていて、映画館の前で携帯に目を落としていると、ちょっといいですかと声をかけられたこともある。映画館前での勧誘はちょっとナンセンスなんじゃないかと思うが、、。それより周りには若い人達や自分と同じように一人でいる人も、たくさんいる中でなぜ僕なんだろうかと首を傾げた。
理由はいくつか考えられるが、これは自分の中でも変えなければいけないところなのかもしれない。
ひょろながく猫背でいる僕はどうしても弱々しい印象的を与えてしまうみたいだ。実際、腕っぷしにまったく自信はない。「ひょろひょろ」したところも「猫背」もある程度自分でなんとかできるのだろうが、矯正する努力はほとんどせずに今日まで来た。勧誘する人達のこの人を救わねばという老婆心をくすぐってしまっているのかも知れない。それならまだ良いがコイツなら騙せそうだと思われているなら事態は深刻だ。そういった悪いこと考えてる人たちは一定数どこにでもいるだろうから、油断はならない。そしてあながち間違ってないのがくやしい。詐欺にはあったことないがどちらかというと騙されやすい方ではあるという自覚はある。

それともう一つ、暇を持て余してるように見られてしまうことだ。(実際暇なときがほとんどだけどね)公園や鴨川なんかで本を読んでいるとよく声をかけられる。こういった場合はよく理解できるのだが駅のプラットホームで電車を待っている時や、某ファーストフード店で食事をしている時にも名刺を渡されたこともあるから、どうもよくわからなくなる。確かなのは、一人でいる時しか声はかけられないということだ。悲壮感がただよい、悩んでいるように見えるのかもしれない。身なりも関係あるのかしら。僕は良い服を着ていることがないから。

そんなことを人に話すと、まったく話しかけられた経験がないという人が殆どであることに驚く。
なんかそういったコミュニティーの中で僕のデータが入った名簿が出回ってるんでないかと疑ってしまう。それとも、「こんな人に声をかけよう」という勧誘の手引き書に、僕そっくりの人がサンプルとして描かれているんじゃないかしらん。勧誘完全マニュアルなんかに

追記

勧誘があったのもだいぶ前の話でふと思い出して書いてみたんですが、今はとんと無くなりました。今でもひょろながく猫背なんですけどね。




現在書店で発売されているpopeyeに以前掲載されたものを再度記事を掲載していただいています。まだ見ていない人はぜひご覧ください。

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