見出し画像

晦日正月ぐうたん日記2


空を隠す重たい雲が覆いかぶさりしとしと雨が降る。いつ雪に変わってもおかしくない。
昨日、兄夫婦含めた家族で公園へ遊びにでかけて凧揚げをしようとしたが、雨風が酷くてそれどころでなかった。あれほど挙動が奇怪な凧を初めて見たかもしれない。緩やかに上空をそよいでいるイメイジだがこの日は風が強すぎて安定せず急に方向転換する蜻蛉のようだった。
思えば正月に凧揚げすることなんてあっただろうか。胡麻回しは昔周りで流行して熱中した。コマを巻く紐が擦れる所為で、人差し指の第一関節部分がつるつるテカテカになってしまったほどだ。しかし凧揚げをすることは殆ど無かった。自分でつくって飛ばすことをした記憶は微かにあるのだけれど、記憶の糸はとうに切れて何処へやら。なんて事を雨が降る中兄がしぶとく凧上げしているのを車の中から眺めながら思った。

本日一月二日大野湊神社に参拝に出かけた。気温は三度。先程までに吹いていた風は止んで寒くはあるが肌を突き刺し凍えるような心地とまではいかない。境内は木々に囲まれ雑踏を隠している。雨音に負けない鳥の鳴き声が聞こえて来た。いつもより騒々しい居心地の悪さからあたっているのか、驚いているためかぴいよぴいよと甲高く響き渡った。
かみさんにお祈りをするために、ざっと勘定して100人、、とにかく沢山の参拝客が並んでおる。売れっこぶいぶいのかみさんである。石畳と傘を打つ雨音が辺りを覆う中、白い煙を吐き出す人々、カステラとたい焼きの屋台に誘われ覗き込む子供達、この寒さの中草履で闊歩する若者、赤ん坊の鳴き声、耳慣れた方言で話されるよもや話、其々が一つの塊となって耳に流れ込む。ぼんやりとした思考がさらに輪郭を無くし、列に並んでいる間眠気に誘われて先程考えていた事は何だったかをつい忘れてしまった。何かやらなければいけない事を思い出していた事だけを覚えているが、当分思い当たりそうにも無いので諦めて辺りを見回す。
鳥居をくぐると右手に、実物を写し取ったという白馬の像。もう少し進んだところに座っている苔に覆われたこまいぬの表情はよく見えない。濡れる境内はより荘厳な佇まいを映し出し、人にまみれた忙しない風景に反して心が落ち着く。
交通整理をしている人がいるわけでもないのにみんなお行儀よく列をつくり自分の番が来るのをちゃんと待っているものだから、秩序が保たれていて忙しいかみさんが気を揉むこともないだろう。こうも参拝者が多いと流石のかみさんもてんやわんやだ。願い事をする前に住所と名前を言わないといけないと母から聞かされたが、かみさんも忘れないように御用聞きのように帳面をつけているのかしら。これだけの人々の願い事を一手に引き受けるのであれば当然だ。ひっきりなしに押し寄せる参拝者、後ろを振り返ればもうたくさんならんでいて少々不憫に思う。
並んでいる間に雨脚が強まりよりいっそう喧騒がぼやけて石畳の上に飛沫が上がる。こまいぬの鼻のであろうところに滴がたれて、鼻垂れになっている。
ちゃんと自分の名前と住所を伝えた上で参拝を済ませて御籤を買う。
隣で、「これも大吉あれも大吉、大吉」との声が聞こえてきた。自分は中吉であった。
よくよく聞くと、大吉云々は、「こども御籤」の事を言っているようであった。此処は子供用に御籤があって、大供の僕はどっちを買えばいいのかしらんと一寸迷うたものの、通常御籤を買ったのだった。
あれだけの参拝者がいたら、みくじのお代でどれだけ集まっているのだろう、、百万円いったりいかなかったり、、果たして如何に?
いかんいかん下賎な。せめて神社でてからだろう。心を改めなければ、失敬失敬。
そんな心持ちで境内をあとにした。

今年90歳になる祖母の家に行った。
僕のみっつ分の人生を歩んでいるばあちゃん。喋りが達者で面白い。戦争があった時は8つ9つの歳。ばあちゃんが話すのを兄はこっそり携帯で録音していた。
庭で育てているブロッコリィを貰った。(恥ずかしながらこの年でお年玉も貰ってしまった、、)


晦日には近江町市場に行ったけれど人が山盛りてんこ盛りに溢れていて、どこもかしこも人だらけなので、香林坊の方へ逃げ込んだ。市場の盛況に反して金沢最大の繁華街のメインストリートは悉くシャッターが下されていて、うら寂しい思いが募った。腹を空かせてたものだから余計だ。中学生の時は香林坊に一人で遊びに行っただけで大人になった心地がしていたのだ。懐かしい。

近くのもりもり寿司なる所で寿司をもりもり食った。

二泊三日で、
銭湯に二度行き、おせちを食い、餅を食い、魚を食い、寿司を食い、酒を呑み。

ぽんぴろぴん。






追記
今月1月 京都五条エンゲルスガールにてライブをします。浪漫革命のギターリスト後藤じゅんくんと。今月のライブはそれきりなので、是非気軽遊びに来てください

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?