見出し画像

むしむしするから無視できない



外を歩いていて目に違和感を感じた。

むず痒いので目をぱちくりさせてみたけれど暫くその違和感は消えなかった。しゃぱしゃぱしている。
僕はコンタクトレンズをはめているのでずれてしまったのだろうかと思った。そんなことはよくある事。
しかし感覚的にそうじゃ無いような気が段々としてきた。
立ち止まって違和感のある下瞼を指の腹で軽く擦った。そうするとゴマつぶの半分くらいの大きさの虫が指の上でのびていた。そいつはまったく動かずもう既に死んでいるらしかった。
さっき感じた違和感は目に入った虫が目の中でジタバタとしたことによるもののようだけれどもなんの虫だかは分からず、黒くぺしゃんこになってしまっていて、わずかに足があるのがわかるくらいだった。

ゲっ。

咄嗟に現れる生理的嫌悪感。
指にいつまでも亡骸を置いとくわけにもいかないので、指の上の虫をピンと、デコピンのように飛ばした。それで終わり。

僕は少し気分を害されたくらいで終わったものの、僕と正面衝突した虫の方は命を落としてしまった。虫からしたら咄嗟のことで何が起こったのかわからなかっただろう。生ぬくたい濡れた柔らかなぶよぶよに絡め取られて、一瞬で息絶えてしまったのだ。
そう思うと少し不憫に思えてくる。
手塚治虫の作品「ブッタ」に登場する、浮浪児のタッタという、動物と心を通わせることのできるキャラクタアがいたけれど、虫とは心を通うわせることができなかった。彼曰く、虫の心の仕組みは他の動物とは違うみたいなのだ。
確かにそうかもなあと思う。
動物はどうにかこうにかして、コミュニケーションが取れるのではないかという気がしてくるものだけれど、虫に関してはそのわずかな兆しすら感じさせない。他の動物より個の判別がつきずらく画一的なデザインに、動きもなんだか機械的。虫を嫌う人は多いし感情移入しづらい存在であることは間違いない。
人間界より遥かに残酷な世界に生きている虫。戦争、奴隷制、子殺し、共食いが平生にある世界に身をおく虫。

僕とぶつかった彼はこれから何をするつもりだったのだろう。僕はというと阿呆な顔して、風呂釜を洗うスポンジや体を洗うタオルはどのようなタイミングで買い替えるべきだろうかというこを考えていたところなのだ。そんな異世界の住人が交わるのが、おかし過ぎる。捻じ曲がっている。この世界が悪い(ということにしますね)
僕にできることといえばそうやって死んだ虫の一生をくだらないものだとは決して思わないこと。これくらいだ。
僕の目の中で死んだ虫と僕が死ぬこととどれほどの差があるのだろう。きっと無いはずと思うようにつとめる。ということにする。

このようなことを考えてしまうのは梅雨によって、もやもやむんわり、むしむししているからだろう。

うししし。












追記
7月17日京都五条エンゲルスガールというレコード店でライブをします。出演者はいちやなぎのみ。1人でやったりサポートを交えてやる予定。
お近くの方、興味ある方はぜひお越しくださいませ

このお店のご主人は昔、革命家を夢見ていた若者だったそうな。ぜひ会いに来てくださいね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?