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さっきの手紙ごようじなあに

言葉というのは口から発せられると忽ちに消えて無くなる。
本来、消え失せてしまうものをとどめておける装置を人類が発明したことが、音楽の発展の一端を担ってるのは確かだと思う。



音源をつくっている時に、多少の違和感を感じることがあった。
ライブをするときは当然見てくれている人に向けて歌う。会話をすることとわりかし近いかもしれない。実際に下手っぴなりにステージからお客さんとコミュニケーションをとったりもする。
「歌を聴いて欲しい人」と「歌を聴きたい人」がその場を共有する。ごく自然のものと思う。
対して音源制作の時は、誰かに向けて歌うということはせずに、空間に向かって或いはマイク向かって歌う。その場に「聴いてくれる人」はもちろんいない。

レコーディングは曲を設計、構築していき何層にも積み上げていく作業だ。(人に向き合うというよりかは曲に向かいあう時間なんでしょうね)
だんだん曲が形作られていく過程は、面白いと思うが、これが音楽的かと言われると少し疑問に感じる。音楽を作る過程が音楽的でないってなんだか可笑しいような気もする。

どちらかというと文章を書くことに近いのかもしれない。
手紙にしても、送りたい相手は其処にはいない。相手にしっかり伝えてることができるように誤字脱字がないかや文章構成をあれこれ考える。
音を吹き込んでいく様は、机で手紙を書いてる姿と重ね合わせることができそうだ。
(僕は手紙も録音も、はみ出したり誤字脱字があったり、構成を考えるのに時間がかかったり、、いつも大変な思いをしてます。一緒にやってくれてる仲間のミュージシャンはみんな上手で本当に凄いです)

スタジオで発せられた音はその場で消えてしまう。
本来消えてなくなっているもの、そこには無いものを、残している。
発した音を足だとするならば、音源は足跡だ。
足跡をつける為に歩く。
不自然なことであるようにも思う。
しかし同時にロマンチックなことだとも思う。


僕はその足跡を辿ってどこかへ歩いているのだ。


レコーディングの時は手紙をかくように歌をうたえばいいのかと、レコーディングが終わった後に思いました。遅いなあ。





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