さりとて裸でちくわ笛
ライブの出演依頼がとんと来ない。
あなぐらに吹く隙間風が虚しく僕の前でとぐろを巻く。トホホ。
余りにもこないものだから根を張りに張って、飯を食うのも寝床ですませて小水に日に何度か立つぎりである。ひとつ、ふたつ、みっつと数を数えてみると、半年ほど人前でうたを歌っていないということが判明した。
一年ほど前までは、月に最低でも、ふたつみっつと歌いに出掛けていたものだけれど、みんなどうしちゃったのかしら、何でお誘いがなくなっちゃんたんだろう。と首を傾げているうちに、お陽さんが傾いて、お月さんが登り、お月さんが眠ってお陽さんが目を覚まして、というのを200回ほど繰り返したのだった。
(ん、間違っているかな、、この頃勘定が上手くできないのです)
ライブをした帰りに、次まであなぐらを出なくて良いように買い溜めをするのが通例となっていた。
だから行きはギタア一本だけ持っていって、空の大きなリュックサックを持っていく。
これにはポケットが7つも付いていて、そして丈夫にできている優れものだ。
ベトナム戦争の時に米軍が担いでたものらしいと、このリュックサックをくれた百姓がそう言っていた。
その百姓は、青果よりも専ら自動車に愛を注ぐ男で売った野菜を、やたらと硬くて丈夫な燃費の悪いすたいりっしゅな自動車に変えていた。
リュックサックをくれたその時も、何やらけったいな排気ガスを沢山はき出す車に乗っていた。あれには農家が煙たがるだろうに、、と要らぬ心配をしたのを覚えている。
彼は今もせっせこと野菜を自動車に変えている事だろう。
前に歌いに出掛けた帰りに買ったものは、だいぶと前に尽きてしまった。それにも関わらず今日まで腐らず生きながらえているのは、せんべえばあやのお陰なのだ。
すぐ隣がせんべえ屋で、主人の老婆がこのあなぐらの大家でもある。僕の風体を見かねて、、、なのかどうか定かじゃないけれど、うまく焼けなかった(だろう)せんべえを金のカンカンに入れてお裾分けしてくれるのだ。
僕はそのせんべいばあやにこれでもかというくらいに、感謝の意を体一杯に現す。
今やこのせんべえは生命線で此処をしくじって仕舞うと確実に死が一歩近づいてしまうからだ。
このせんべえばあやが、体良く接してくれるのは此のあなぐらの家賃を、向こう半年分を先払いしているということが大きいだろう。
半年前、僕の歌がテレビ番組に採用された。誰でも知っているような番組ではないものの其れは何週かに渡って全国に放送され、その時にまとまったお金を受け取ることができたのだが、僕は何を思ったがそのギャランティの殆どを家賃に充ててしまったのだ。
(今になって思えばそれが功を奏したわけだけど、、)
たしか酒に酔っ払っていたのだと思う。
ヨタヨタほうろうと老婆が住む家屋の門を叩いて、家賃を先払いしますと半ば押しつけるようにしてお札が入った封筒を渡したのだ。ここに住むやつらで金を沢山持っている奴なんてひとっこひとり居ないものだから、金を受け取ったせんべえばあやは面食らい、目を丸くしていた。後日に、安全な金だったのか不安に思ったのだろう。彼女は海老がペシャンコにプレスされたせんべえを手に持ち、先日のお金はどこで手に入れたのかということを上り框に腰掛け、中を眺め回しながら僕につとめて優しい口調で、そしてまわりくどく暗に聞いた。
例のテレビ番組の事を話すと、顔を仄かに紅潮させ貴方有名人なんじゃないの、今度のお茶会で貴方のこと皆んなに話すわねといったようなことを言っていた(気がする)
僕は金を返して欲しくてしょうがなかったが、気づけば手には海老がぺしゃんこにされたせんべえがあった。其奴はくの字にひしゃげ、顕微鏡で覗いた微生物を思わせるなりをしていた。しかし滅茶苦茶に美味かった。
その渡した家賃分が、勘定が正しければ、今月限りなのだ。
果報は寝て待てという親から教わった教えを都合よく解釈した所為で僕は窮地に立たされていた。しかし、こんなにもライブのお誘いが来ないとは、、、。
金のカンカンは、陽の光を返してよりいっそう金色に輝く。これが二束三文のガラクタだなんて信じられないくらいそれはもう光り輝いている。それを長く見つめながら暗然としたこの先の事を考えると頭がくらくらしてきた。
そうやって床に伏しているとガタンとポストに投函された音が聞こえた。
僕宛に来るものは碌なものはないという事は百も承知で藁をもすがる思いでポスト開けた。
手紙には以下のようなものが書かれていた。
奇妙な誘いだ。
僕はいちやなぎであって、いちやぬぎではない。失礼な奴ではあるかもしれないが僕の歌を好きでいてくれて、お誘いしてくれているということは確かみたいだ。
手紙に記されている住所に何処かライブができるところがあったろうかと訝しむ。普通住所と共にライブをする場所の名くらいは明記されているものだからだ。
しかし、たった15分のライブなのにも関わらずだいぶと待遇が良いようで、ご馳走に加えてギャランティは丁度このあなぐらの、三ヶ月分の家賃に相当する。そしてお客は100は来るという。こんな美味しいお誘いはそうそうない。
加えて僕はちくわ笛が得意だった。
しかし裸になってちくわ笛を吹くなんて絶対にやりたくはないはないし、葉っぱがあったとて同じ事だ。
かなり美味しい話だが同じくらいかなり怪しい。会合とは何だろうか、23時に来いとは非常識ではないかと、流石に僕でも思う。
しかしこのオファを受ければ、再来月までの家賃が確保できる。差し迫ったこの状況においてこの話に乗らない手は無かった。
一度会合に顔を出してから判断しても良いのではないかという気がしてきた。そこで話の通じないどうしようもない主催者であれば、逃げれば良いだけの話だ。
金色のカンカンがまだ輝いている。
ギターを手に取って、ぽんぴろぽんぱんとお歌の練習をはじめた。歌うとなれば15分間といえど、勘を取り戻さなければならない。何しろ人前で半年歌ってないのだ。
テレビ番組を見て知ってくれたようだから、あの曲は歌うことにしよう。
隣の迷惑にならぬよう小声で歌う。この曲は歌詞が気に入っている。
久しぶりに発した言葉は部屋を転がる。
時が経つと自ら紡いだ言葉はひとりでに歩いて、自分から出てきた言葉だという事実が不明瞭になる。不明瞭になってからが楽しい。
転がる歌は多少とんまなものの、ふゆりとさすらう。
ぽんぴろぴん ぽんぴろぴん
歌に夢中になっていたものだから来客があったことに気がつくのが遅れた。
ノックの音が響いた。
叩き具合でせんべえばあやだなということがすぐに分かった。
「こんにちは、お歌が聴こえてきたけども練習やっとったんかいや」
「そうなんです。うるさかったですかね?」
「あいや〜大丈夫よお、あんた頑張らんにゃならんもんねえ。みんな期待しとる言っとたよお。あのうたええうたやねえ。ばっちゃでも丁度ええ心地よお」
そう言って今日もせんべえを手渡してくれた。今回は豆せんべえだった。
「あ、先払いしてた家賃で今月限りですよね?」
「んやあ、来月までやねえ。帳面にきちんとつけてるからいんちきせんでえ。心配しなよお」
僕は勘定上手くできないようだ。
歯抜けの老婆の方が幾らかしっかりとしている。
「ほいじゃあね」
せんべえ婆やが去った後、寝床に帰る。
貰ったせんべえを齧る。やはり滅茶苦茶に美味い。
センベエを齧りながらぼんやりと勘定をやり直すと、人前で歌っていないの期間は半年でなく3ヶ月であることが判明した。
先程の話は断ることにした。条件は良い、が
さりとて裸でちくわ笛だもの。