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あとは風まかせ
あらゆる文学作品や、あらゆる楽曲の歌詞によく風が吹く。
僕の曲の歌詞にもよく「風」が登場する。
なぜこうも風が吹くのだろう。
僕はなぜだかわからないけれど「風」が吹いている作品に心惹かれる。
風は目には見えないし、どこからやってきて何処へむかっているのかわからない。
自分含め人はそんなものに何を感じとって言葉にしているのだろう。
風は雲をあちらからこちらへと運ぶし、波を生み匂いを運んで木を騒つかせる。
凪いだ時代などないだろう。どの時代にも風は吹いている。
風は平等だ。
風は心の中にも吹く。
例えば、空を見上げて雲間から漏れ出した光に心動かされたとしたらそれは、心の中に風が吹いたことになる。葉っぱがこすれる音に眠気を誘われた時も同様だ。
作品に風を吹かせる時は、何かを託しているのかもしれない。他の人がどうだかはわからないけれど少なくとも僕は。
誰にでも平等な風にまかせっきりにする無責任なゆとりが、良い心持ちにしてくれるのだ。
兄が高校生だった、むかしむかしの話。
「この頃向かい風が酷くて、自転車で通学するのがしんどい。」
朝の食卓で文句を垂れ流していたところに僕は「風にまかせて走ればいいじゃない」と一言。
鬼の形相で睨みつけられたことを今でも覚えている。あの時殴りつけられないだけマシだった。あの当時は僕はその時本当にそう思っていたのだ。
しかし現実的に正しいのは兄の方だ。
僕たちは風まかせにはなかなか生きていけない。
全てに平等な風にまかせては生きていけない、なんと悲しきことか。
無責任に奔放に無頓着に何処かへとつれだしてくれる風にみんな憧れているのだろう。
だから作品の中にしたためるのだ。
何もかも風まかせにしたいときもある
そんな時は「風」の出番なんだろう