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よしんば、食う食う食う


ある日、自転車を漕ぎながらおにぎりを食べているサラリイマン風の男性を見かけた。
その数日後にはコンビニの前で自転車の荷台に惣菜を広げて立食している若者を見た。
車内で信号待ちをしている最中にドライバーがバナナを頬張っているのを見たこともある。

自転車を漕ぎながら食事をする彼はそれほど時間に追われていたのだろうか。移動中の食事といっても電車なぞとはわけ違ってその「移動」も全て自身が担っているわけで、移動と食事を己の力のみで両立させているのでこれは芸とみなしていいのではないだろうか。食う時間すら追われている人たちが少なからずいるらしい。

しかし「食う」ことに対してここまで驕っているのも可笑しな話だなとも思えてくる。
腹を満たして明日への原動力にするために口に放り込む単純明快なこの行為に、人間があらゆる装飾を施して儀式的に仕立てあげた故にややこしくなってしまっているわけで、本来立ちながらであろうが、座りながらであろうが、走りながらであろうがどこでもどんな時にでも腹がすけばメシを食っていいはずである。立食パーティーというものがあったかと思えば、家でウロウロと歩きながら食べていたら、落ち着いて食べなさいと言われてしまう。
立ち飲み屋で座って呑んではいけないし、
喫茶店で立って飲むことは許されぬのだ。就業中や授業中には食べてはいけないことが殆どで、電車やバスの中は、、、(駄目なのでしょうか?普通電車はナシで新幹線はアリ?)
外で食べるのにも、原っぱだとアリなことが多く、コンクリートの上だとナシとされることが多いように思う。コンクリートの上にござをひいて食べていたら何だか違和感が残りそうではある。
友人宅のベッドの上ではものを食うべからず。というのも忘れてはならない。
(それ以前の問題で、上がるべからず、、か?)

食事は必ず家族全員そろってから、という家訓があったっておかしくないし、家長が手をつけてから、食事をはじめるという掟めいたものも以前には存在して、現在も根絶やしにはされていないだろうと思う。


なかなか複雑にできている。
もし人間社会に動物達が進出したとしたらこの掟を覚えるのに一苦労し、厭わしく思う事だろう。食事をとるのはどの動物も必須なわけで最初の壁となるかもしれない。
そう思えば、自転車に乗りながらおにぎりを頬張っていたあのサラリーマンも、コンビニの前で立食していたお兄さんも現代に蔓延る食事様式へのアンチテーゼを己の御前をもってして示していたんじゃないかしらん。

あれに違和感を感じる僕の方がおかしいのかもしれぬ。そうに違いない。










追記
飛行機や電車に乗っている時にご飯を食べていると、「高速に移動しながら物を食べている」という状況になんだか、可笑しくなるときありません?
ないか。

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