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さすれば暮らしのとうしろう
テレビジョンの向こう側では、暮らしの達人と名乗るご婦人がスタジオにいる芸能人、ひいてはカメラの向こう側、並びにテレビの前の視聴者、即ち寝そべる僕に対して、暮らしを向上させるための指南をしてくださっている。ありがたや。
どこそこに、百圓均一で買い求めたこれこれを使うと、あら不思議。生活がよりよいものに。お次はお台所で、うんぬんかんかんぬん、、、。
ぼけえと眺めながら、頭に浮かんだ「暮らしの達人」という言葉。一体どういった人のことを指し、どうやったらそんな風に呼ばれるようになるのかしら。
おそらく太古の人間たちはみんな暮らしの達人だったのだろう、そうじゃないと生き残ることができないからだ。そんな暮らしの達人の血や知恵を受け継いで今に至るわけだから、いちおう、ここに生きるみんなは、元を辿れば暮らしの達人の子孫にあたるわけだ。
暮らしの達人でなくとも、それとなく生き残れるようになってしまったのは、おそらくごく最近の事で、このテレビジョンの中のご婦人は新世代の暮らしの達人なのだろう。
僕はというと、もちろん暮らしの達人の子孫ではあるけれど、達人なんかじゃない。
何と言えばいいのだろうか、「暮らしの凡人」ともいえない気がする。大半の人が暮らしの凡人だとして、、。僕は何に当たるだろう。
こう言った場合に、どんな言葉を持ってして形容するかは、それなりに重要な気がする。字がへたっぴな人を「悪筆家」と呼ぶとそれなりに聞こえるし、金持ちのことを金満家なんて言うとイメージも少し変わる。
調べてみると達人の対義語は、素人みたいで、「暮らしの素人」うーーん、及第点ではあるものの、もう少し的を得た言い方がある気もするが、、。
まあいいや。
悪筆家兼非金満家であり、暮らしの素人の僕はシャンプウを切らしてしまうことがある。暮らしの凡人あたりの人なら、切れそうになった時点、若しくは常に一つはストックしているのだろうが、僕はよく切らしちゃって、風呂場で気がつくなんてことがよくある。あちゃ、、そうだった切らしてるんだった、、。しょうがないから絞り出すなり、なんなりして、まにあわせる(間に合っているのかどうかよくわからないけれど、、)
買い忘れることはあるとして、それならまだ良いのだが、先日。
シャンプウを買ったことに満足して、詰め替えをせずに風呂に入ってしまったのだ。
なんならこっちのほうがくやしい。
ありゃま、、、。暮らしの素人は大変大変。
何か他の言葉を探そう。
さすらう暮らしのとうしろう。
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