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仙台旅日記

9月2日 晴れ

めずらしく余裕を持って起きてシャワーを浴びて朝飯まで食ってデモCDに絵を描いた。
そして旅の支度を万事終わらせて家を出る。
おそらく忘れ物は何かしらあるだろうが、仕方がない。
家に出てからはじめに聞いたのはthe beatlesのrevolution。
京都の停車場には沢山の人がいて電車の中にも沢山の人がいる。みんな空港に行くのかしらなんて思ってると、何度か電車を乗り換えているうちに人がまばらになった。アナウンスによれば野田だという。そういえば先日歌いに来たところだった。

仙台へは飛行機で行くので、飛行機は空港でのみ飛んだり降りたりしているものだから空港まで行かなくちゃいけないし、空港はお家から遠いものだから、何個も電車を乗らなくちゃいけない。
これまた珍しく、滞りなく搭乗手続きまで済ませて、ポカリスエットとポテトチップスを買って離陸。
けたたましい音を立てたかと思うと巨大な鉄の塊は地面から離れて、気づけば海に浮かぶ船がおもちゃのように小さく、さっきまでいた飛行場がジオラマみたくなって雲がなんと下にある。
と思えば、すぐに地面に着いた。ほんのちょっこし空を飛んでいただけであった。一時間ほどだろうか、眠ってしまったから瞬く間だった。

本日お世話にかる宿に荷物を置いてから飯に出かけた。

夕飯。

北京餃子。
学生食堂風の中華屋で、油淋鶏定食を頼む。
黄緑色のプラスチックの盆に乗せられてやってきた。めちゃくちゃ美味かった。此処は餃子15個と飯がついて700圓でかなり安い。
(この後に酒を入れる余裕を残したかったので餃子定食は生憎頼めなかった)
学生風の若い人が絶えない。次々とやってくる。

ふらふらよちよちと彷徨った挙句、宿の横の地下へ潜った居酒屋へ。せっかく来たのだからと、仙台めいたものが食いたかった。
ホヤ酢(旬の時期としてはぎりぎりらしく、滑り込み、良かった)と飛魚のなめろうで麦焼酎をいただいた。つき出しのバイ貝もどれもこれもおいしくって同じものを三杯を飲み干す。
優しい店主と美人な女将さんが切り盛りする和やかな雰囲気。仙台訛りに囲まれながらカウンターで呑む。
隣の席のおっちゃんから、はらこめしの事を聞く。はらこ飯は秋ジャケでつくられるので、今はまだ早いのだというが、昨日ちょうどおっちゃんが寄った店に、はらこ飯が置いてあったのだという耳寄り情報を教えてもらった。更には牛タンが(まだ)美味いところを聞いた。
牛タンに関しては、「美味いやつは美味いんだけどねえ、、、」と、成程。わかったようなわからないような、多分わかった。

思春期の男は乳首の周りにできるしこりに悩むのだという話で、カウンターにいるお客みんなで盛り上がったり(僕にはその類いの悩みはなかったが、友達から相談された事があったのを思い出した)
ルーズソックスや回転寿司が仙台発祥(大いに諸説あり)だということを聞いた。
少々高くついてしまったけれど、満足満足。
そういえば三杯とも麦焼酎をソーダで割ったものもらったけれど、あれは麦の何だったんだろう、、。仙台のご当地カクテル「レゲエパンチ」なるものを教わる。
共用スペースでコンビニでかったビイルを一杯だけのんでから大浴場とはいえぬまでも中浴場で湯を浴びてから就寝。
寝る前にほんの数ページ残っていた「君たちはどう生きるか」を読み終えた。

9月3日 雨のちくもり、晴れ

起きてから浴場に向かうと、窓から覗ける大粒の雨。ありゃあ。
今日ライブまでの時間どうしようかしらんと、湯を浴びながら黙考。うーむ。

と思ったのは杞憂で宿を出る時には雨は止み今度は日傘をさす人が歩いている。
今日宿泊する別の宿が隣りだったのには驚いた。荷物をあずけさせてもらって、カフェで朝飯を食うことにした。
村上春樹の「パン屋再襲撃」をめくる

不意に思いだした。
去年芥川賞を受賞した「荒地の家族」は現役書店員で仙台出身じゃなかったかと。
調べてみると著者の佐藤厚志さんは丸善仙台アエル店の現役書店員さんなのである。そして偶然にも書店は歩いて行けるところにあった。
ありゃま。
気にはなっていたが未読だったのでこりゃあ丁度いい、もしかしたらついでに著者に会えるかも知れぬ、だってアエル店だし、、と助平心丸出しで歩いて丸善へ向かう。
複合ビルの一階にある丸善はかなり大きくて、店員さんも多い。店内をぐるりまわるも佐藤さんらしき人はおらず。
お勘定の時に店員さんに聞いてるとこの頃は講演会などで忙しく、出勤日数が減って曰く「レアキャラ」となってるそうだ。残念。

昼時
ハピナ名横丁(長いアーケード)の入り口すぐにある、日の出寿司。老夫婦であろう二人で営んでいる回転寿司だが、寿司はまわっていおらず注文してから握ってもらう。一皿150圓という安さに釣られた。
しかしどうも流行っていない、お客は誰もおらず伽藍としている。
ホールというか、席にお母さんが座り注文聞きをするのだけれど、大将のお父さんとカウンターの距離が近い為に僕が直接注文すれば十分事足りるのだが、終始お母さんに注文する、お母さんから大将へというリレーが行われた。僕が入った少し後に二人来た。それきり。
しかも僕より後に入ったサラリーマンは三皿のみ、しめて450圓でお勘定、さらっと退店。
少食の人かしら、それとも満足できなかったのかしら、、。僕はイカ、タコ、ほたて、つぶ貝、赤貝、しめ鯖にいたっては三貫もあって満足だった。某チェーン店よりかは断然、日の出寿司派だ。昨日聞いた、仙台は回転寿司発祥の地というだけあって回転寿司が多くあり、お客が入っていないのは僕なんかではわからない事情ありそうだ。

アーケードをぶらついて見つけた仙台茶豆を買う。



薄暮。
お世話になるチキポトにリハーサルへ行く
店主の小畑さんはだいぶと前から僕のことを呼んでくださってたのだが、時世等、色々あってやっとこさ歌いくるのに相成ったのだ。
仙台のミュージシャンの知り合いは誰一人おらず(おそらく)そもそも僕のことを知ってくれている人がいるのかどうかも不明瞭で甚だ不安だった。
ご一緒する、「犬飼黒須とさっぱりポン酢サワーズ」は其々が違うバンドを組む、若手即席ユニットだ。カホンの上に乗っかる男女ボーカル二人がギターやトライアングルをもちかえっこしたり、緩やかな雰囲気ただよいとても良い感じ。メンバー其々が僕の事を以前から知ってくれていたみたいでそれだけで安心した。
会場はとても温かく、小畑さんがたくさんの人に僕の事を広めてくれているのがとても嬉しく、さらには小畑さんにいちやなぎの事を教えたのだという、イベントの真の発起人なるお客さんまでいた。
僕の事を知らない人も知ってくれている人も優しく耳を傾けてくれた。
MCで行った飲食店の色々を話したのだけれどお客さんの反応からすると、「変」なところに行っていたのかもしれない。

無事終演。

終演後お客さんとお喋りした。仙台来てくれてありがとうございます、なんて言われてしまってとてもとても嬉しかった。お友達にも好きな人がいますなんて人もいて、僕の歌を聴いてくれてる人がいて感謝の念で一杯になった。

一息ついてから、みんなでギターを弾いて歌ったりした(小畑さんの実のお兄さんや発起人のお兄さんもギターが弾けて自曲を持っていた。そしてどれも素晴らしかった)
みんなでミニ生音コンサート。
僕は、アンコールいただけたのでみゅうと、
リハの時にちょっこしやって良かったと言ってもらえたThe Beatlesの somethingを歌った。
最後、小畑さんオススメの中華屋で打ち上げ。とっても良くしていただいた。本当に感謝感激。雨あられ。

宿の近くで3時ごろまで呑んだ。
最後にコンビニでみつけたレゲエパンチを飲む。



9月4日 最終日

雲のち雨、すごい雨。

この日はひどかった。天気がではない、僕がである。
チキポト店主小畑さんと犬ポンさんのボーカル黒須さん、チキポトの臨時スタッフでもありお客さんのあいさんとももさんでオススメの鮨屋に連れていってもらう予定だった。
13時に集合だったので、12時に宿を出て一時間ばかり喫茶店で珈琲をのみながら昨日買った荒地の家族をめくっていた。
そこまではよかった。

向かいに来てもらって30分ばかり車に揺られる。そうすると段々と気分が悪くなってきた。
眠くもなってきて、そこに胸のむかつきがくわわり冷や汗をかいた。
到着する頃には寿司を食う気なんか完全に失せて吐き気がした。
そのため僕一人車で休んで、みんなだけで食べてもらった(本当に申し訳ないことをしました、、)
帰りの車でも気分は回復せず、仙台駅に着いた頃には立てないほどになってしまった。
チキポトの小畑さんと黒須とはここで別れて、情けなくも女性二人につきっきりで介抱してもらうことになった。
飛行機が出るまで後2時間ばかり。冷えピタやポカリスエット、酔い止めなんかを沢山買ってきてもらって、なんと女性二人に荷物まで持たせて、這うようにしてなんとか空港へ。
朝までなんともなかったのだが、二日酔いだろうと検討付けて、水分をとりまくった。
そういえば行きもポカリスエットだった。
吐き気もだいぶおさまり飛行機に乗る事ができた。何もかも介抱してくれた二人のおかげである(本当にご迷惑をおかけしました、、そしてありがとうございました)
一人だったら完全に帰るのを諦めていた。
関空に到着するとギターとバックを背負って、ズルズルヨチヨチと、行きはあれほど軽やかであったのに、今度は殆ど死人のようになって、音楽も何も聞かずにただ帰巣本能に従ってなんとか家に帰った。


次の日
朝から予定があったのだが、昨日の体調を引きずり思わしくなく、これは本当に二日酔いなのであろうかと訝しむ。
うーうーと家を出る。
夜になってやっとこさ、楽になり旅の傷が癒えて、仙台楽しかったなあと都合よいところだけを思い出すに至ったのである。









追記
はらこめしと牛タン食べれず
またいつか

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