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マンボウと名店

ある日深夜のバライティー番組を見ていると、マンボウを愛してやまないというマンボウ研究家、澤井悦郎氏が取り上げられていた。マンボウを研究する学者は少ないらしく、まだまだ未知の部分が多い生物らしい。
そんな澤井さんが参加した研究チームが新種のマンボウを発見した。なんと新種発見は125年ぶりというんだから驚きだ。なぜ彼がそれほどまでにマンボウに情熱を注げるのか分からない。本当に様々な専門家がいて感心する。

発見されたソイツは他のマンボウに見た目がよく似ていてほとんど差異がないことから、外見が似た他のマンボウに紛れて研究者から隠れているようだとして、和名を「かくれマンボウ」と命名された。(虫でいう○○もどき、○○だましのような)なかなか容赦のない名前だ。マンボウの気持ちを考えると虚しくなってくる。べつに逃げも隠れせずに生きてきただろうに日陰者あつかいをされどう思っているのだろうか。そう考えると、「隠れた名店」という表現はお店からしたらどうなのだろうか。本当にお店としては「隠れている」のだろうか。(有名になる気満々かもしれないですよね)知る人ぞ知ると言い換えると悪い気もしないような気もするが、、。
今のところ、知る人ぞ知るマンボウで違いない。マンボウを擁護するのであればだが、、

ニュースが海を駆け巡り、友達のマンボウにバカににされたことだろうし、家族会議の議題にあがっただろう。これがきっかけでグレてしまい、人間に対して嫌悪を抱いて、かくれマンボウの逆襲が始まり、B級映画のような展開に発展してしまうかもしれない。(大きい物で全長2.4メートルあるらしいので、そんなのに襲われたらそれなりに恐ろしい)
これは椅子取りゲームやあるいはババ抜きののようなもので、いずれかのマンボウが「隠れ」を命名される、逆らうことのできない運命にあったのだ。しかし、考えてみるとこの「かくれマンボウ」のあとに発見されたものはなんて命名されるのだろうか。まだ命名されていないマンボウは肝を冷やしているに違いない。隠れマンボウもどきなんてつけられた日には、、続編ができてしまう。

こう一方的に考えてみたものの、人間たちに見つからないように忍んで生きていた可能性も捨てられない。それこそ隠れキリシタンのように。それはそれで、見つかってしまい全てをあばかれ、「隠れ」なんて命名されるなんてことは、奴隷が烙印をおされるかのごとく残酷である。一生癒えることのない傷だ。

なによりマンボウを愛してやまない沢井氏はこの名前に対してどう考えてるのだろうか。



追記
水族館にいるマンボウはみんなガラスにぶつかって唇が化膿してタラコくちびるになるんだそう。かわいそうに





いつになったら人前に立ってライブがでるのかしら

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