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電話の向こう側のおとぎ噺

ある日駅を歩いていると、ある女性が目についた。20代と思われる髪の長い女性が駅構内の公衆電話で話をしている。近年めざましい携帯電話の普及によって公衆電話で話す人というのは珍しい光景になりつつある。若い女性なんか尚更だ。

携帯電話を無くしたのだろうか。家に置いてきてしまったのだろうか。しかし女性に焦った様子など微塵もなく業務的な口ぶりでもない。いたって砕けた口調で電話の向こうの相手と楽しそうに話している。電話の上に手を置いて電話線に指をくるっと絡ませたりなんかして。

公衆電話を使っている人は何度も見たことあるが、使用者はとりわけ高齢者が多く、そうでなくたって、メモをとりながらだとか、短的に話していることが多いように思う。今や長々と世間話する場所ではないのだ。公衆電話を使えばだれもが手短に話すのが普通ではいないだろうか。ひと昔前は違った光景がたくさんあったのだろうが、、。
僕は若い女性が公衆電話を使って楽しそうにだらだらと話しているのを初めて見かけたのだ。

そんな女性の背中に物語を感じてしまい、つい見入ってしまった。話しかけてみたらどうだったんだろう。
僕が街中で女性に話しかけるなんてことはできるはずもなく、実際は少しの間、様子を見ていて、電車が来るとそそくさと改札をくぐったというだけのことである。

電車に乗り込むと車内はやや混んでいて空席はなかった。目の前の長椅子に座っている全員が携帯電話に目を向けていた。見渡すと目の前だけでなく携帯電話に目を落としている人がほとんどだ。乗車中は空き時間なのである。携帯電話でいくらでも暇つぶしできるのだからそりゃそうだ。なんらおかしな光景ではない。
指一本でとんでもない額の金銭を動かしている人がいるかもしれないし、ゲームしている人、友達や家族に連絡している人、それぞれやっていることは様々なのだろうが、その様子といえば一様に小さな機械に目を落として指を動かしているだけなのである。おそろしく画一的で、視覚的な情報を他人にあたえることがない。その名の通りスマートなんだがそういった光景をみると少し寂しい気もする。

公衆電話で電話している人にインタビューなんかしたら面白いかもしれない。そこに思わぬ涙の物語があったり、あっと驚くドタバタ物語があったり、、とそれは勝手な想像で、そうそう面白い話なんて転がっていないだろう。しかし公衆電話で喋っている人の背中はたしかに何か語りかけてくるものがあるのだ。

そんなくだらないことを言っていると後日僕は携帯電話をなくしてしまい、同じ場所の公衆電話から方々に電話をかけた。
あの女性を意識して、硬貨を握りしめた手を電話の上に置いてみたり、電話線をくるくるさせながら。しかし口調はいたって業務的でしかも焦っていた。限られた時間で用件を伝えないといけないわけだから、悠長に喋ってなんかいられない。そんなところにインタビューでもされてたら、怒ってしまうかもしれない、、、ほんとに勝手だけど。




追記
当たり前だけどコインを投入していないと、時間がくると無情に切れます。あれは本当に無情だ。 さっきまで繋がれていた世界が一気に分断されます。

そして携帯電話は僕の手元に帰ってくることはありませんでした。


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