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野暮天つるてんまっさらぴん。


体に彫りものを入れるということに対しての了見は人によりけりの事と思う。個々人はもとより国や文化、風俗によって捉え方が様々で、僕が身を置くこの国では現在、刺青やタトゥが受け入れられているとは少々言い難い。
彫り物がある体だと湯屋へ入れない事がしばしばあるし、接客を必要とする商売とあらば尚更で、サラリーを貰う仕事の殆どが彫り物を御法度としているんじゃないかしら。
少なくとも欧米諸国よりは抑圧的な世情があり、実際に彫っている人が少なく、この現状であれば当然だようなあとも思う。
この島国で大過なく過ごしたくば、生まれたままのさらぴんの体である事に越したことはない。

はぐれ者が体に墨を入れるという印象があってどうしても負のイメージがまとわりつく。
実際に強面の男から、墨がちらりと見えたならば、おっかなくて心を身構えてしまうのは事実である。
小さい頃よく父に連れて行ってもらった湯屋に全身に和彫りを入れた人が沢山いて、幼心に僕は、他の人とは違う何かを嗅ぎ取っていた。(恐怖の対象かと言われるとそうでもなかった)
皮膚が垂れ下がった、いわゆるよぼよぼの老人は、肩から足首まで墨がはいっている以外は、威圧的な印象もなく、職人だったのではないかと今になっては思う。母の話によると女方でも、全身に墨を入れた老婆を見かけたらしい。

「タトゥが自分の思想や考えによって変化するならば入れてもいい」との考を目にしたことあるのだけれど(誰なのかは伏せます)
僕としては全くの逆で、変化してしまったら体に刻む意味ないんでかしらんと思う。
僕はこの文化をわりかし肯定的に捉えていて、もし墨を強制的に体に入れなくてはならないと言う事態が起こったとしても悲観的になることはまずないだろう。
自らを飾り立てるために、我が体に刻むと言うのは何処か原始的で人間の趣を感じさせる。文化だ。
一分一秒のうちに老いて変化していく体に、一生消えぬデザインを彫り込むなんて粋だなと思う。
粋というものは結句、無駄なものだ。
無駄がどんどんと排斥されていく時代、その流れに刺青はどんぶらこと流されていくだろうな。
粋がっていたって生きてかれない。もっともだ。

添加物たっぷりどっぷり現代っ子の僕は粋とは何なのかとは、教わらずして生きてきてしまった気がする。やぼてん野郎になってしまっているかもしれない。


こうまで言ってるが、体に彫り物をする予定はまっさらぴん。つるてん。







追記
敏感肌だとやはり彫り物にはむかないんでしょうかね。

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