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ぱくぱくもぐもぐあんぽん譚

缶詰の蓋で右手の薬指を切ってしまった。

スウと皮膚の間を通すようなあの感覚。
紙で切ったときに近い感触があり、「あ、やってしまったな」と思った時には、指の切れ目から綿がぽろぽろと落ちくるはずもなくしっかりと血が垂れてきてすぐさま水で濯いだ。

おとと。
傷口がぷっくりと腫れて数日の間薬指に気を使いながら過ごすこととなってしまった。

数日後、指に気を使ってない自分に気がついた。見てみると傷口は塞がり治っている。その指を見た時、よくやったと自分を褒め称えたくなった。気にかけなくとも、指示を出さずともちゃんと体は働いていたのだ。怠け者の僕だけど身体はしっかり働いてるようだ。体が生きようとしているのだなということがありありと伝わってくる。自分の意思に基づいて自己治癒が行われていたならとんでもないことになっているだろう。「ちょっと我慢すればいいわけだし、今日はめんどくさいから回復するの明日にしよう〜」とどんどん先延ばしにしてしまいそうだ。思えば日頃の体の調整については自分事ながら預かり知らぬところで、甲が甲(若しくは乙が乙)に完璧になげてしまっている状態である。日々いろいろなメシを食べて栄養を自分に渡しているだけでその後どうやって血や肉としているのかは、ある程度生きた今でもよくわかっていない。お前はどうやってここまできて、そして明日以降何をするつもりなんだと問いたくなる。
あんぽんたんな体だと思っていたけど、一概にそう言えないようだ。日頃ろくすっぽ運動をしてないのにも関わらず後日筋肉痛を起こすことなく富士山を登頂することができたし、酸素が薄くなる8合目あたりで、肺をいっぱいに広げて空気をとり込む感覚が気持ち良くって走ってみたりもした。なんだかわからないけど意外と頑張ってくれているみたいなのだ。自分という一個体なのではなくて集合体だという感覚ほうがしっくりくるかもしれない。
むかし読んだ本で、臓器たちが喋り出す話があった。足が日々の不満を漏らすところからはじまり、手も話に加わって胃や心臓なんかの臓器も続いて、最後には脳まで自分に文句を垂れるのだ。「はて、今思考している自分はどこにいるんだろう?」と言った具合の落ちだった気がする。

考えてみると人間の自己治癒力には驚かされるばかりで整形の時、体のどこかしらを切除したり骨格を変えようと骨を切ったりしても、身体が元の設計図通りに治そうとする力が働くという話を聞いたことがある。顔の骨格を変えたいのに戻ってしまうという例があるらしい。整形しようとしている身からすれば散々だろうと不憫に思うが、本当に良くできて優秀だなと感心する。
大きな交通事故起こして、一時は顔がめちゃくちゃになってしまったあの芸人さんだって今ではしっかり治っている。

ここまで褒めておいてわざわざ言うのも憚れるが考えてみると欠陥がないこともない。1日三度もメシを食べなければいけないし、同じものばかりを食べては生きていけない。海から山、駆けずり回ってありとあらゆる多種多様な食べ物を口に放り込み、そこまでしたって栄養不足だなんだと不具合がおきたりもする。なんだかなと思う。
爪を切っても元に戻るのに歯が抜けると歯抜けのままで、頭を守るためとされている毛髪は歳をとると無くなったりもする(ほぼ男だけ)守らなければいけないのなら老成して体が弱くなるにつれて、より生えてこなければいけないのではないか。何をやっているんだ。まったく。
(人間ほどすってんつるつるな、なりをした動物はそういない)
全ての作品の中で人間は秀作ではあるのだろうけど最高傑作かと言われると、、

うーーん、




追記
ANTENAから発刊されたカルチャー雑誌「out of sight!!!」でインタビュー記事掲載していただいてます。フリーペーパーとは思えぬクオリティで京都のいたるところに置いてあるみたいです。
ぜひ一度手に取ってみて欲しい。(ネット販売もしているようです)






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