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木は語らない

木が好きだ。
どっしりと根を張り空に向かってのびている様はおおらかで、つつみこんでくれるような安心感をあたえてくれる。木は何も語らない。動かない。晴れた日も雨の日も風の日も雪の日だって。鳥が休んだり、時には人がよっかかったり。小学生のとき国語の授業で「木」という詩をかいたことがある。今も実家の勉強机に原稿が眠っている。それぐらい木に関心をもっていた子供であった。
そう木は何も語らないのだ。大抵の人にはそうだと思う。しかしかつて、僕は木と話をしていたことがある。

実家(石川県金沢市)のすぐ横に、わりと大きい公園がある。金沢港に繋がる大野川に面していて、漁船がモーター音を鳴らし、白く細かい泡をあげながら往来している。決して水は綺麗ではなく濁っていて近寄ると少しの生臭さとともに磯の香りがする。(川はどこから海になるのか考えさせられます)そんな川の向こう側には宇宙船のような緑色の巨大な球体のガスタンクが見える。
時に釣り人がいたり、老人がゲートボールを興じたりしているが、基本的にがらんとした、人より木の方が断然多い公園である。
ちょっとしたランニングコースがあってその周りにはたくさんの木々が立っていた。
夏になればセミを虫かごいっぱいに集めたりバッタやカマキリなんかを追いかけていた。
幼稚園入園前だったから、3.4歳の頃だったと思う。1人でよく遊びに行っていた。コンくんに会いにいくのだ。母親にも「コンくんのところへ遊びにいってくる」と言っていた。

コンくんはその公園の、ある位置に立っている木の名前である。そばにこしかけてお喋りをしていた。コンくんはよく話しを聴いてくれた。すべてを受け入れてくれた。だからお喋りするのが楽しかった。コンくんの友達も何本か教えてもらった(友達の名前は忘れてしまった)

親の仕事の関係で、僕が幼稚園入園するタイミングで石川県から京都の左京区のほうへ引っ越すことになって、コンくんと離れ離れとなってしまった。
母親の実家が同じ石川県の津幡町というところにあるので、離れ離れになってからも例の公園に行く機会があった。そうやって数年間にわたり何度か会いに行ったと記憶している。さらに転勤を繰り返した末に、僕が小学生6年生の時に石川県に戻ることになり、前と同じ場所に住むことになった。
そのときにはもう、コンくんはいなくなっていた。
正確に言えばどれがコンくんかわからなくなってしまったのだ。
いくばかりの木が切られてしまい公園の様子が少し変わってしまったこともあってか忘れてしまっていた。忘れるなんてことは当時からすると考えられないけど、。
移り住む前に何度か遊びにいっていたのだが、いつのタイミングで忘れてしまったのかはよくわからない。移り住む前の時点でもう忘れてしまっていたのかもしれない。記憶がひどく曖昧なのだ。だから最後に話した日もまったく分からない。もちろんさよならの挨拶を交わしていない。コンくんともう会うことができくなってしまったが、その時は別段悲しいとも思わなかった。(経験のない方はわからないでしょうけど学生にとって転校というのは、なかなか大きな問題でそれどころではなかったのかもしれません)

小学生くらいまではもっと鮮明に覚えていた気がするが、もう今となっては何を話していたか、ここまで書いても何も思い出せずにいる。コンくんの友達の名前も忘れてしまったくらいだ、当然だろう。文章にすることで底に沈殿していた記憶が舞い上がることを期待していたが、そんなことはなく今もどんよりと積もったままである。なんだかむず痒い思いがする。

今も大きな木を見ると匂いを嗅いだり、抱いてみたりする。(昔からそうなんだけど、大きな木が好きなのです)
ただ木は語らないし動かない
実家に帰った時ぶらぶらと公園を歩いてみるがからっきし駄目である。「やあ久しぶりだね」と肩を叩かれることなんて勿論ない。
今になってすこし寂しい思いをしている。コンくんからしたら「何を今更、」と思うだろう。
切り倒されしまったかもしれないし、今も空に向かって伸びているかもしれない
それを確かめる術はないのだ。
僕にのこっているのはほんの僅かな記憶とコンくんという名前だけになってしまった。

木は語らない






追記 

これを書いてると芸人バナナマンの「the supernatural」というコントを思い出した。大人になってしまったサラリーマンの主人公と妖怪ヒムドンの愉快でちょっとほろりとくる名コントのなのでぜひ見てほしい。



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