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ふらつく先の横丁
せっかく来たのだからという思いが返って仇となり、あてもなく繁華街を亡霊のように彷徨い、時に人とぶつかりながら、チラシ配りやサンドイッチマンを避けながら、そんなことならばいっそのこと、すぐに帰ればよかったと思いつつも、ここまできてしまったならばと変に意固地になって、何の為、、それは飯を食う為だけれども、、誰の為に、、まあ自分の為他ならないのだけれど、その辺があやふやにすらなっても、まだ歩き続ける。
立ち食いラーメン「金龍」は海外からの旅行者に囲まれて、あらま、意外と調理場に立つのは肌が黒い、東南若しくは南アジア系のおじさん、そんな金龍ラーメンの前を何回か通り過ぎて、うろうろ、どれも決め手にかける、というより何が食べたいという事が判然とせず、目的意識が中途半端な心はヨタヨタ、ああでもないこうでもないと街の灯りに流されてゆく。それは川面に浮かぶ朽木さながら。
大阪には、音源のミックス作業の仕上げをやりにきて、それならいっそのこと楽器屋さんに寄ってギターを見てみようかしらと行ってみたものの、定休日、前もって調べるなんてことはせずに、体当たりで来たのが良くなかった。
周辺の楽器屋にはエレキばかりでアコースティックギターが殆どない。あらあら。
インターネット次元でお店を探せばいいのではないかという案が浮かんではいるもののそれは何だか癪で、あくまで自分の足で見つけたいのだという頑なで腐った考えが良くないというところまで理解しているが、やっぱりうろうろ。
また同じところ。
今度はこっち。横にそれてみる。
十割そば、、蕎麦屋がある。いいじゃない。
暖簾を潜る。お客は誰もいない。カウンターのみ6席ほど、こじんまり。
これだけ寒いというのに、何も考えずに冷やしのもりそばとビイルを頼んでしまう。
あら、安い一杯400圓、、いや違う1400圓だと気付いたのは、注文を通した後で大将ががビイルを持ってきたところだった。漢字表記で「一」を見落としていた。
十割そばだから高いのは当たり前じゃないか。
蕎麦はとっても美味い、ただ全然量が足りず、かといってもう一杯いくかといわれるとそれは憚れる。
「この辺に安くてそれなりに美味い寿司屋さんありますか?」
大将に聞いたのだけれど、よくない尋ね方をしてしまった、、「安い」がいけなかった。
「この世に安くて本当に美味いものはない、それだったらそこらの回転寿司いけばいい」
と、つっけんどんに返されてしまった。ぴしゃり。
この店で聞くことじゃなかったかもなあと後悔しても後の祭り。あらま。
そそくさビイルを飲み干して店を出る。
木枯らしはさっきよりいっそう冷めたく、ぴゅうぴゅうと体を通り抜けた。
後日。またもや楽器屋巡り。
この間は気づかなかった、蕎麦屋のすぐ近くにある寿司屋に入る。(ほんの目と鼻の先に手頃な寿司屋があったのだ)
大将は耳が遠い80歳。
28歳の時から店を続けている。
四畳半、六席でいっぱいの、こんじまり。
麦の水割りを頼めば、麦7に対しての水3、ネズミがちゅうちゅう。
一つ60圓のにぎりがぞろぞろ。大将、水曜は病院の検査。
一息にタバコぷか。勘定はどんぶり(?)
腹いっぱいにして暖簾をくぐる。
冷たい風が気持ちいい。
追記
3月12日ふらっとお世話になっているBARに遊びに行く予定です、ついでにほんの少し歌うという感じです(ノーチャージとのこと)
3月25日
浪漫革命のギターリスト大池奏太くんと
レコード屋で
オムライスが食べれるみたい
どちらも京都です
よければ遊びに来てください
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