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背中の穴



実家で久しぶりにゆっくりしていると、早めに帰ってきていた兄が僕の部屋の方に血相かかえてはいってきた。
「背中?」
背中を見てほしいのだという。
表で子供達と遊んでいたら尻餅をついて背中を打ちつけてしまったらしい。
かなり痛むそうで、顔を歪めながら僕に背を向ける。
この部屋には絆創膏一つありやしないのだから僕に見せたって仕方ないだろうと思ったがとりあえず見てやることにした。
彼は自分で服を捲った。

ありゃ。
見てほしいのは背中だと言っていたはずなのに、兄がこちらに見せたのは尾てい骨。
シャツをたくし上げて、ズボンも少し下ろした体となった。

「どっち?」
僕は彼の背中辺りを見て思わず大きな声で叫んでしまった。
「どっちって何?」
兄は不安そうに言う。

堰を切ったかのように隣の家から爆音が鳴り響いた。
隣の家の二階の窓は僕の部屋の窓とほぼ同じ高さにあって、普段はカーテンが閉まり切ってることが多いのだけれど、その日はなぜか全開でかつ窓も半分ほど開けられていた。
姉妹たちはバンド練習をしているようだった。
三女エレキギターに次女エレキベースそれに長女ドラムにハンドマイクの四女ボーカル、有名な曲のカバーなのだが、曲名がでてこない、なんだったかしら、、。
演奏は聴いてられる程度のものではある。

考えてるうちに、あ。そうだ、今は兄の背中だ。
と再び彼の尾てい骨辺りを見る。

やっぱりだ、穴があいている。
お猿に尻尾が生えているとこあたりに穴があいているのだ。
「どっち?」
バンドサウンドに負けないぐらいの声が勝手に出た。
「どっちって何?」
兄はおそらくそう言ったのだと思う、不機嫌やら不安やらを滲ませているのが横顔でもわかった。

隣の家の演奏、あれはリハーサルでなくて本番のつもりなのかもしれないと思ったのは、
隣の家の姉妹たちは全員こちらを向いているからで、立ち位置も真ん中にボーカル、上手にギター下手にベース、ほんの少し後ろにドラム、よくバンドのライブで見るスタイルで、練習とは思われない気合いの入りようである。
「どっち?」
思わず叫んでしまったのは、これは僕たちに向けて演奏されている本番なのか、それともリハーサルなのか気になったからで、兄は今度こそ苛立ちの表情をみせた。
練習だったとしたら窓は閉め切ってやる筈だろうから、僕たちに向けた本番のつもりなのだろうか、いやそれなら窓を全部開け放していい筈、半分しかあいていないのだから、閉め忘れとみるのが正しい気もする。
「さっきからお前が言ってるどっちって何?」
兄はとうとう怒気を帯びた顔つきになった。
痛むのか脂汗が滲んでいる。

演奏が終わって、静かになったのでその内に喋ろうと思った矢先、ボーカルの末っ子の女の子が、マイクを通してたどたどしく喋り始めた。先程まで歌っていたから息があがって、その荒い息遣いがマイクを通して、ボウボウとなる。
これは曲間に挟まるMCというやつではないだろうか。
何故このバンドを結成するにいったかの経緯を喋り始めたのだが、決して話術があるわけではなく、はにかみながら、ベースやギター、時にはドラムの方をむいて喋るものだから、なかなか要領をえない。
これはMCというやつなのだろうか、それともMC練習なのだろうか。
ミュージシャンは人前に立つ職業ではあるが、決して噺家ではないわけで、全員が全員話芸に長けているわけでは無いことぐらいはわかる。(音楽特番でろくすっぽ喋らないミュージシャンを何度も見かけたことがある)
それにしても、あの恥ずかしがりようは、本番だと思っているからこそのような気もする。練習だったならば、姉妹相手に顔を赤らめて体をくねらせながら喋ることなぞあるだろうか。
これは僕たちに向けての本番なんじゃ無いかしら。

そうだそうだ、兄の背中だった。
みたび、彼の背中(尾てい骨あたり)を見るとやっぱり穴があいている。

僕は最初、兄の尻の穴見てしまったのかもしれないと思ったのだ。この穴は怪我してあけた穴なのか、もともとある尻の穴なのかという意味での「どっち」であった。
そんなところに隣家の本番なのかリハーサルなのかよくわからない演奏を聴かされて僕は困惑していた。

怪我してあけた穴の場合、相当な大怪我ですぐ病院に行かなければならないだろうから、伝えるに躊躇してしまう。

そうこうしているうちに、彼女たちの演奏が再び始まる。先程の曲とはうってかわって、サイケデリックソングだった。

だんだんと頭がクラクラして、背中あたりに空いた穴に吸い込まれていきそうな気分に陥った。


僕は本当に穴に落ちていったのかもしれなかった。



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