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歌は突然ペテンハッタリペッタンコ




音楽は人の心に語りかけて不思議な作用をする。心を鼓舞して扇動することだってできるし、お祝いお祭りから弔い争いにまで、なんでもこい。
逆に心を落ち着かせることもできる。
鎮魂と覚醒。

作家の中上健二は「優れた音楽は、この世のものだが何処か違う彼方からやってきたような異界性を伴う」としているが、もっともだと思う。
音楽の起源というものを僕は知らないけれど、神様とのコミュニケーション、結局辿れば宗教的なものに還っていくのではないだろうか。
だから、、というと短絡的かもしれないけれど、浮世離れした「何か」を感じる時が多々あるのだ。
歌は特に詐欺的だなあと思うことがしばしばある。だって、世に溢れてる歌もの、、ラブソングをあらためて、詩だけとって読んでみると「なんだい大げさにいっちゃって、ちょっとクサイワヨ」なんてもので新旧問わず溢れかえっているからだ。
僕だったら女性を目の前にして到底言えないなと思えるような、ある種気取った言葉たちが綴られていることが多い。
しかし、恋文とラブソングの歌詞はまったく違う。
歌における言葉のまわりにはメロディがあり律動があり、音色があるのだ。メロディが乗っかると言葉は自然と出てくるし、しかもその言葉の外にある別の意味までをも含んで人の心に入っていくことができる。
聴き手それぞれの心の内でメロディを含んだ言葉たちはパンみたいに奔放に膨らんでいく。
そして綿毛に雫を落っことすみたいに、なんの引っ掛かりや蟠りもなく、じっとり心に染み込む。
そうやって歌は魔術的な説得力を獲得する。
本当に不思議だと思う。ううむ。
アニメキテレツ大百科のエンディング曲、「はじめてのチュウ」は歌詞だけみると恥ずかしくなるけれど(というか曲名の時点で恥ずかしい)何歳になってもやっぱり、大好きだ。
メロディも歌詞も、とっても良い。

ともかくそういった力が働くのはメロディに乗っかっているからこそなのだ。
普段人に言えないものを音楽の力を借りて、やっとこさ伝える。世に恋や愛の歌で溢れるのも不思議ではない。言えないからこそ歌が必要になるのだろう。そしてこれは何も恋や愛に限った話では無い。
僕だって人前で、「愛してるよ」なんて歌うことがあるが(不思議だけれど、そういった自前の曲があるのです)
メロディ、リズムに大いに助けれられている。そして歌うときには何処か遠くへいきたい、連れて行ってくれっという思いがある。
そして大抵の場合、どこかへつれていってくれるのだ。















追記
これは前から気になっていたのですが、
デモ行進ってありますでしょう?○○反対!○○やめろ!と言いながら、街を練り歩く、あのデモ行進。あれも一種の音楽だと思うのですが。
そもそもデモ行進という知識がない人、例えば幼児に音だけを聴かせてたら、お祭りのお囃子とは違う、喧々した雰囲気を掴めるのでしょうか?はたまた、楽しい事をやってるわん勘違いしてしまうのでしょうか。






追追記

1stアルバムIRAHAIより、森の怪獣/ラッタウルという二曲を先行配信リリース開始しました。ぜひ聴いてみてください


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