病は潜在意識からのサイン
数ヶ月前から同じような内容で記事を書いた記憶があるが、日常生活の中で最近さらに
気付きがあったので最新版として記しておく。
レイキを再開したことで、自身の持つ自然治癒力を活かしながら、長年慢性的に苦しめられた体調不良に対しての捉え方も変化した。
単なる肉体の故障というものではない。
身体を通して、潜在意識は緊急で自分に気付いてほしいことがあって病、体調不良という現象で
メッセージを伝えてきている。
今月に入ってから、何やら潜在意識から上がってきている声に薄々気付き始めていた。
が、どうしてもそれを受け入れることを先延ばしにし、これまで通りの生き方を続けようとした。
先週もそうして目一杯スケジュールを詰め込み、
今週もまた…。
そうして今週が始まった矢先、月曜の午前中には体調に異変を感じた。
私にしては珍しく早退。
そして翌朝目が覚めたら、ものもらいで片目が腫れ上がり開かない。
酷い有様で、コンタクトなんか入れられたもんじゃないし、ろくに片目開かないほどで
そんな状態では運転も危険だろうし、人に感染するものではないが、そんな酷く腫れ上がった状態で仕事に行ける度胸はなかった。
その時点で、あーやっぱり来たか!これもう今週は行かせないように仕組まれてるなぁとは感じた。
渋々一旦休むことにしたのだが、スケジュールはずっと先まで来月以降まで埋めてしまっていた状態。
早く治ってもらわないと困るんだよなぁ〜って思った。けれどそんな思考の思いも虚しく、腫れは引いてくる気配もない。
かもいって何時間待ちの眼科に行く気にもなれず。
とりあえず市販の点眼、レイキ、アロマの蒸気浴(マグカップに熱湯と、消炎作用のティートリー・ラベンダーを2滴ずつ)をしながら様子を見ていた。
スケジュールが空いたことで、冬支度のこたつを出してゆっくりボーッと考えていた。
どう考えてもこれはおかしい。
去年、一昨年とで散々何度も経験してきた強制終了のパターンの前兆に思えてならない。
ものもらいだって、人の目が気にならない症状であれば私のことだから、強制的に強行突破していたと思う。
それをわざわざ人前に出れないほどの状態になるって、そうまでしてでも潜在意識はスケジュールを中止させたかったのだ。
そう思ったら潔く、この先のスケジュールを潔く一旦全てリセットした。
そうした今、まだ完治までは行ってないもののかなり腫れは引いて、あと少しで治りそうだ。
ほら、やっぱりそうだ。
もしここまでされても強行突破をしていたら、
また過去のように大きく強制終了が起きていたのだろう。
体調不良、病も同じなのだ。
早めに気付いてあげられればそこまで重症化しない。
けれど、身体の声を無視して生きることは
「魂からズレた生き方になってますよ〜」のお知らせをスルーしているわけだから、それならば!と
さらに大きな大病という形で強制終了を引き起こすのだ。
あれだけ自己犠牲的に、自分のプライベートもなく年がら年中働きまくってきた父が大病に倒れた2年前のあの日も、翌日からさらに大きな仕事を控えていたと聞いた。
父自身は、自分のプライドのためでもあり、私たち家族のためでもあり、会社のために、
潜在意識からのもっと前々から出ていたであろう
魂からの声を受け取り、手放すことができなかったために強制終了を起こした。
本当は苦しかったんだろうな。
まぁ私が看護師という職にいながらずっと違和感が拭えなかったのも、
西洋医学で病を治療するという現代医療に対する
やり方の部分だったのだと今ならわかる。
病が潜在意識からのサインであることに気付いてしまった以上、それを薬物や諸々の医療行為で
強制的に治そうとすることを受け入れられなくなってしまった。
そうなってしまった以上、もう私は看護師をすることはできない。
医師不足、看護師不足と言われる世の中であるが、それは病は潜在意識からのサインであるという認識が人々に認識されていくことで、
医療職が足りないという事態そのものがなくなっていくのではないか。
将来的にAIの発達によってなくなる職業という情報も出回っているようだが。
もちろん人の命に関わることはAIには不可能。
それに何も私も、一生西洋医学にお世話にならないと言っているのではない。
けれど、病は単なる肉体の故障なのではない。
潜在意識からの警告であるにも関わらず、
そのお知らせ(病)を悪として
やっつけようとすることが問題なのだ。
子どもが学校に行きたくない時、朝になると
体調不良を引き起こすのも
中には思考で演技をする時もあるのだろうが、
本人としては本当に行きたくないから
潜在意識が熱を出したり、何かしらの腹痛や頭痛等で行けない理由を現象化しているのだろう。
もう何年も前のことになるが、我が子が3日ほど学校に行きたくない体調が悪いと言ったことがあった。
私自身は小中高と12年間皆勤を貫いた男性性ゴリゴリの生き方をしてきた母親だが、
そんな我が子に対して「いいよ。休もうか。
もし少し行けそうなら保健室の先生のとこママと行く?」と対応したことを覚えている。
しかし元配偶者とは方針の違いでぶつかった。
学校くらい行かせろや!不登校になったらどないするんや?それでも母親か?… 何を言われても
私は私の感覚を信じて、揺らがなかった。
とにかく我が子の言い分に寄り添って、担任や養護教諭とも連携しながらしっかり向き合うことをした。例え配偶者になんと言われようとも。
あの時の対応に後悔はない。
その後我が子は、元気に学校生活を送れている。
我が子の場合は3日ほどではあったが、
何せ私自身がテコでも休まない精神で生きてきただけにあの時はどう対応するのが正解かと考えたものだ。
私自身は、命に関わるほどの大病はしていないが
その代わりに長年に渡り、慢性的な不調を抱えて生きていた。
看護師という職は、実は患者より病んでいるといわれるのもあながち間違っていない。
ほとんどの仲間が自己犠牲をしながら、薬に頼って身体に鞭打って働いていた現実をみてきた。
(もちろん全員がそうだとは言っていない。)
医療職であれど人間であることに変わりはない。
昔に比べたら仕事から離れたことでマシにはなったものの、どこかスッキリしない残存があった。
そんなことも最近の向き合いの中で、
完全に治ってしまうことのデメリットを見つけてしまったのだ。
誰しも自分にデメリットなことをわざわざ引き起こさないはずで。
ということは、いつまでも治らないというのは
治らないことで得られるメリットが潜在意識にあるということ。
そこを掘っていくことで、とんでもないことが浮上してきたりした。
潜在意識はそれを守るために、あえて治癒しない自分を続けようとしていた。
けれど、私にとってはもうそのガードは必要ない。
わざわざ病という状態で居続けなくとも、
現実的に本心としてちゃんと伝えれば済む話。
検索してみたら、すでに世の中には
病は潜在意識からのメッセージであるというような趣旨の本もたーくさん出版されているんだな。
体調が悪い時こそ、目の前のことはストップして
自分の身体を休めつつも
その症状は何を自分に気づいてほしがっているのか?それを受け取る必要がある。
昔は「末期の余命宣告されていたガン患者のガンが綺麗になくなっていた」なんて話は
全く信じていなかった私。
ホスピスでも勤務していたくらいだから。
でも今なら、理解できる。
一見したら病はネガティブ現象ではあるが、
本質は闇として叩き潰すものではなく
光と統合させていくことで昇華していけるのだ。
やれることはやったのに、改善しない。
自分がこの病で居続けることのメリットなんて
わからない!
セッションで、そんな方のお役にも立てるかと。
病は単なる不幸ではなく、自分の潜在意識からの
警告サインであり、そこに気づくことで必ず
改善していく。
病気という状態さえ、自身が選んでそうなっていることを受け入れること。
「治そう」とするより先に、潜在意識からのメッセージを受け取ることから。
人間関係、仕事、お金、健康問題。
結局どれも仕組みは同じなのだ。
自分だけが不公平に、不幸を与えられているのではない。
その状況でしか気づけない学びがある。
全ては必然で完璧である。
全ては自分の潜在意識が現実創造している。