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脱スクール高校生バンド

同級の仲間、高校の頃のバンド仲間Kの訃報が届いた。
それも葬儀帰りの仲間から。

たった1.2年の時間をよく分からない熱量で共に過ごしたに過ぎないのだが、40年近くなる今でもこうしてスタジオに訪れてくれるのは驚きでもあり.ありがたい事でもある。

歳取ってからの10年より10代の1年の方がずっと濃い物なのかも知れない。

余りにも久々に会った仲間達は若い頃の面影を残しつつすっかり老人の見た目をしている。
向こうから見ても同様なのだろうが。

皆、結婚し子供を育て退職の時期を迎えてこれから何をするのかをぼんやりと考えているのかも知れない。

Kは家族もなく一人暮らしのアパートでひっそり亡くなったらしいが、少し前にバンドをやりたい!と話していたらしい。

今日訪れた仲間の1人は若い頃「30歳以上の人間を信じない!」と言っていた。

理屈では理解できない中で大人達の価値観に反発を感じだからロックが拠り所だったと言うのは皆、共通に認識しているようだった。

30歳と言うのは、このままでは生きて行けない!事を悟り、大人の価値観を積極的に、或いは反抗する振りをしつつも受け入れ、敗北感など持たなくても良い!と言う理屈を手に入れる時期なのかも知れない。

若く愚かだった武勇伝としての価値を与えるのだ。

先日スタジオに来た50代の人に聞いた話だが、娘さんの高校の頃バンドが流行り、部活には100名程の部員がいたそうだ。
親達も積極的に応援し学祭などでは親子で盛り上がったそうた。

しかし娘さん、高校を卒業したら直ぐにやめたそうだ。

話を聞いて感じるそもそもの違和感は、親達や学校の応援だ。

少なくとも自分にとっての高校時代はスクールや大人の価値観に対する反発としての拠り所がバンドだったのだから。

先に書いたように大概は30歳を境にポジションを変える事になる。

ある意味、敗北を認める!或いは、そもそも闘った覚えは無い!と言い始めるわけだが、それまで粘った経験は、ある時期を過ぎると病理の様に再燃するのかも知れない。

子供の手が離れるとか離職するとかのタイミングで。
しかしバンドで言うならサビ付き過ぎたスキルや体力気力の衰え、もはや全てが手遅れである事を強く示唆する。
諦める事をとても容易してくれるわけだ。

高校生頃、バンドをやっていた目的が何だったのか?
分かっている様で全く分かっていなかった事に気付く。

売れるか?誰かより上手いプレイ何出来るか?みたいな事を目指していると思っていた。

思えばそれらの回答は大人に指し示された分かり易い選択肢でしかなかった。
皆、思考停止しそのどちらかと思い込んだ。

あの頃のロック小僧は想像以上にバカだった!と言うのは否めない。

しかしあの頃何を求めていたのか?を改めて自らに問う事って重要だと感じる昨今!

何も昔バンドやってた奴らは再開するべきだ!と言っているのではない。

少なくとも子供達に任せたら良いわけでも無く偉い人達に任せたら良いわけでも無いんじゃ無いか?と。

脱スクールの勧め!って感じかな。




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