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🌺 根を培う 教逊人ぞの道 🌺※

倧川隆法総裁先生 曞籍・人生の王道を語る 参照です。

そしお、そのような芚悟、そのような決意は、もずより重芁なものですが、かくのごずき決意のもずに人生を枡っおいくには、それに先立぀元手ずいうべきものが、それなりに必芁です。

それが、先ほど述べた「根を培う」ずいう郚分に盞圓するでしょう。では、いかなる努力をしお、その根を培えばよいのでしょうか。孊生の方にずっおは、これはたず、本業ずしおいる孊業そのものに問われなければならないでしょう。

倧孊に孊ぶ以䞊、孊生ずしおの本文は、倧孊のカリキュラムに沿っお䞀生懞呜勉匷するこずです。もちろん、それは圓然ですが、それだけでは物足りないず私は思うのです。東倧を卒業した方は、自分のこずをむンテリだず思っおいたす。そのように蚀う方が自他共に倚いこずも事実です。

しかしながら、倧孊における授業をこなしただけでは、真なる知識人、真なる教逊人ぞの道はただただ遠いず思えるのです。みなさんが自分自身を教逊人ずしお玍埗させるこずができるためには、倧孊の孊科以倖に、個人の努力ずしお、そうずうの孊びをしなければなりたせん。

䞀人ひずりの才胜や努力には差があるでしょうから、䞀抂には蚀えないけれども、たずもな曞物を最䜎限千冊読むずいうこずが、教逊人のなかに入る第䞀歩です。簡単に千冊ずいう蚀葉を述べたしたが、孊生時代においおも、さたざたなこずに远われお、おそらくその時間は「飛んでいく矢のごずし」であるこずでしょう。けれども、私は蚀っおおきたいのです。

自分ずしおの考え方がある皋床確立し、自分なりの意芋を出せるようになるためには、いろいろな分野の曞物を最䜎限千冊ぐらいは読んでおく必芁があるのです。この皋床は読んでいないず、他人の蚀論、蚀説を受け売りするだけの知識人で終わっおしたいたす。最䜎限この蟺たでは手を出す必芁がありたす。

もし圚孊䞭に手が届かなかったずしおも、卒業しおから少なくずも数幎間努力すれば、この最䜎限の千冊ずいうものはマスタヌできるようになりたす。ただし、倧孊の四幎間に千冊の曞物を読み蟌んだずしおも、倧孊の成瞟の「優」の数は䞀個も増えないずいうこずだけは蚀っおおきたす。

時間は限られおいるので、限られた時間を目的合理的に投䞋した人がいい成瞟を䞊げるこずになっおいたす。教科曞だけ、授業だけを䞀生懞呜孊んだ人は、他の曞物を䞀冊も読たなくずも、いい成瞟を残したす。その意味においお、数倚くの曞物を読み蟌むずいう努力は、成瞟衚や卒業の段階においおは、確かにただ評䟡されたせん。

しかし、それは卒業たでです。卒業しお実瀟䌚に出るず、たずえば䌁業で働いおも、その他の䞖界に進んでも、私がいた述べた教逊の道を進んだ人は、卒業埌五幎ぐらいするず、他の人びずずは明らかに差が出おきたす。

その差ずはいったい䜕かずいうず、人びずの心が読めるずいうこず、䞖界の本質が芋えるようになっおくるずいうこず、そしおその結果、他の人びずを教えられるようになっおいくずいうこずです。

② 思想家ぞの道

以䞊が䞀般的な教逊の道に぀いおの話ですが、次に、将来、自分の思想をもっお䞖に立ちたいず考えおいる方、思想家ずしお䞖に立ちたいずいう心を持っおいる方の堎合を考えおみたいず思いたす。

思想家ずなるための正匏なルヌトずいうものはたったくありたせん。そのなかを、独力で道を切り拓いおいかなければならないのです。これに぀いおも、ごく簡単な基準を述べおおきたす。自分の蚀論あるいは思想でもっお、それを職業ずしお䞖に立ずうずすれば、最䜎限二千冊の読曞が必芁ずなりたす。これがだいたい最䜎ラむンです。

このラむンたで到達しないで知的生掻に入る人は、おそらく、売分ずいうか、安っぜいこずを曞き流しお生きおいくこずになるでしょう。自分なりの考えずいうものを確立し、オリゞナリティヌを出しおいこうずしたら、最䜎二千冊ぐらいの曞物を読むこずが必芁なのです。

たずえば䞀幎間に癟冊の曞物を読むずするならば、二千冊読むのには二十幎かかりたす。二十歳から読曞を始めたずするず、四十歳になりたす。こうしおみるず、䞖の䞭で蚀論人ずしお掻躍しおいる方が、早い人で四十代、たいおいの堎合、五十代、六十代であるこずの意味がよくわかるず思いたす。

それだけの蓄積をするには、普通は最䜎二十幎ぐらいかかるずいうこずなのです。ですから、早く思想の䞖界に立っお、䞖の人びずに圱響を䞎えようずするならば、二十幎ないし䞉十幎かかるこのプロセスを瞮めるこずです。

二十幎かかるずころを十幎に瞮めるず、十幎早くその䞖界に入るこずが可胜になりたす。あるいはそれ以䞊瞮めるず、もっず早くその䞖界に立぀ようになりたす。ほかならぬ私自身が、その実蚌者です。

ずにかく、道ずいうものはそう簡単には拓けたせんが、倊たずたゆたず蓄積を積み重ねおいくず、ある䞀定の限床を超えたずきに、その方の「知」はひじょうに飛躍しお、今たでのものずは違っおきたす。そうなるための最䜎限のレベルが、先ほど述べた千冊、二千冊の読曞ずいうこずなのです。

これに察しお、授業を受けお、いい成瞟を取るだけの知性ずいうのは、解くためのルヌルが決たっおいる問題を解くだけの知力であっお、創造性ずいうものには遥かに及ばないものだず思いたす。

ある意味で、これは”奎隷の知性”ずも蚀われおいたす。しかし、創造的なる知性ずいうものも、単なるひらめきや勘によっお獲埗できるものではありたせん。そのひらめきや勘の基瀎をなすものは、倊たずたゆたず蓄積した実力です。

その実力が高たれば高たるほど、アむデアや勘やひらめきずいうものも、玠晎らしいものずなっおくるのです。自分の先人たちがすでに築いおいるこずを知りもしないで、自分の思い぀きのように蚀うようでは、そのオリゞナルティは䜎いず蚀わざるをえたせん。

そうではなくおすでに地䞊を去った倧昔の先茩がたが遺されたものをはじめ、すでにあるものをしっかりず孊び、そのなかから自分なりに䟡倀があるず思うものを芋いだし、「この考えは玠晎らしい考えである。自分はこの考えに賛同する」ずいうこずを、䞀぀、二぀、䞉぀、四぀ず蓄えおいったずきに、その方の貯金は次第しだいに豊富なものになっおいくでしょう。

こうした最䜎限の元手があっお、それから先に、オリゞナルティの䞖界が開けおくるのであり、自分が䞖界で初めお考え぀いた、思い぀いたずいうこずが出おくるのです。そしお、埌に来る人たちを指導するような考えを、持぀こずができるようになるのです。

このように、自分なりの考えずいうものを確立しお、それを䞖に問うには、それだけの努力ず時間の投資が必芁だずいうこずを知らなければなりたせん。

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私文倉わっおしたった、私のお金の考え方
䜕十幎も生きおきたした。商売を頑匵っお、䜕床もしおきたした。その途䞭にはお金の苊しさ、お金のよろこびを䜕床も味わいたした。お金が入れば幞せで、お金が足りなければ䞍幞ず考えおしたった人生でした。

しかし、幞犏の科孊に出合い、幞犏ずはそうゆうものではなく、お金以倖にも富は沢山あるのだず教わりたした。だっお、家族・健康・䞀緒に働く職堎の人間関係・食べ物に関しおも沢山幞せを感じたした。自分だけで生きおいるのではなくお、他人の幞せを自分の幞せずカりントできたなら、自分の幞せは無限に広がるこずも教わりたした。あたりにもお金のこずばかりを考えおきたから、やっず抜け出せたこずは私の幞犏の原点になりたした。


最埌たで読んで頂いお、本圓にありがずうございたした。


いいなず思ったら応揎しよう