🍎 自己犠牲の精神ー世のために人のために尽くす生き方 🍎
大川隆法総裁先生 書籍・青銅の法 参照です。
「権利、権利の世の中」で失われた美徳
宗教的精神を持った人に共通する「自己犠牲の精神」
本章では宗教的な心のあり方の一側面である「自己犠牲の精神」について述べてみたいと思います。老人の繰り言のように聞こえると、たいへん情けないことであると思うんですが、最近の若い方がたを見ていると、「どうも自己犠牲の精神のようなものが分からないのではないか」と思うことがよくあります。
日本国憲法もそうですし、現代教育もそうなのですが、基本的には人間としての権利の主張の仕方を一生懸命教えています。そして、「それを獲得することは、より民主化した自由な世界、そうした未来に近づくことだ」ということを教えているように思います。
もちろん、幸福の科学の考えのなかにも、そういうものは入っているので、それを否定する気はありません。しかしながら、歴史上の宗教家や宗教的精神を持った方々の人生を見るかぎり、共通して言えることは、「どの方も多い少ないはあったにしても、自己犠牲の精神をお持ちであったのではないか」ということです。
現代では、これが分からなくなってきているために、宗教とはなにかが分からなくなってきていますし、宗教的人格もわからなくなっていますし、宗教のなしている、さまざまな救済活動の意味も分からなくなっているのではないかと思います。
この「自己犠牲の精神」が正しく理解されていたら、宗教家には、自らの仕事への誇りや自信が湧いてくると思いますし、宗教を見ている人たちにも、宗教に対する崇敬の念というか、それを尊ぶ気持ちが湧いてきて、一歩下がって敬う気持ちも出てくるのではないかと思うのです。
自然界の「自己保存の法則」に逆らって生きた人たち
とにかく、「権利、権利」の世の中ではあります。「相手が権利を主張してくる以上、こちらも権利を主張して議論を戦わせ、最後に裁判になっても、それに勝つ」というようなことも、近代的知性の働きであることは事実だと思いますし、「 ”チャンバラ精神” が法廷闘争などの議論に変わってきている」と言えばそうなのかもしれません。
それを「無効である」「まったく無駄である」と言うつもりはありません。自然界では、強い動物が生き残り、弱い動物が食べられていくように、人間界においても、戦いに強い者が生き残り、弱い者が滅びていくのは ”淘汰の精神” においては当然のことなのかもしれません。
ところが、歴史上には、「時代の流れに逆流して生きる人」がときどき出てきます。これはまことに不思議なことです。そういう人は、同時代の人にもなかなか理解されないところは多いのですが、自己犠牲の精神は、言ってみれば、自然界の法則に逆らっているのです。
この世に生まれて生きている人間だけでなく、動物も植物もそうだと思いますが、みな、「自分を護る」ということを中心にしており、それで生活が成り立っています。自分を護ることを中心に考え、「自分を護るためには、ほかの人が犠牲になってもやむをえない」という考えが基本的にはあります。
それは、「自分以外のものを食べてでも、自分が生き残る」というようなことでしょうか。そういうことが言えます。私は、ダイエーの創業者である中内功さんの伝記を取り扱ったドキュメンタリー番組を観たことがあります。そのなかで、中内さんがジャーナリストに対して、「戦争で南方戦線に行っていたとき、いちばん怖かったことは何だと思うか」と問いかけていました。
そのジャーナリストは、「もちろん、銃弾でしょう。銃弾で敵兵に殺されることがいちばん怖かったでしょう」と答えていました。すると、中内さんは、「いや、そうじゃないんだ。隣で寝ている日本人が怖かった。『自分が先に眠ると殺されるかもしれない』という気持ちがあった」というようなことを言っていました。
要するに、「自分が食糧にされるかもしれない」という恐怖を感じたわけです。「戦争のなかには、ある種の地獄がある」ということは事実であろうと思いますし、人間には、自分が生き延びるために、最後には同僚をも食べてしまうようなところがあるかもしれません。
そういう事件はかつてありましたし、劇映画になっているものもあります。しかし、そのような自然界の法則である「自己保存の法則」に逆らって生きている人たちもいるわけです。そういう人たちのことも、やはり、人々は忘れないのでいるのではないかと思います。
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(私文:私の信仰心の基)
私が何を、どこを、大川隆法総裁先生を信じているかと言えば、絶対に嘘は言わないと信じられること。一つのことを、最低でも四か所くらいの視点から話されているから、話が立体的に理解出来ること。講演会でも、精舎での説法でも、何時でも、原稿なしにお話をされ、しかも言葉が言霊で心に響いてくるところにあります。書籍を読んでも、今分かること、二年後に読んだら、違うことがやっと分かるようで、深みをいつも感じます。飽きることなく学べることが、嬉しいです。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
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