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仙人仙女の『胎息』は不老不死の呼吸法~03
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今までの『胎息』のお話しはいかがだったでしょうか?
このnoteのページの中で書かかれている、実際のリアルな『胎息』のレッスンの雰囲気は「気」のエネルギーやオーラ感覚のようなスピリチュアル風のレッスンの感じで進んでゆきます。
スピリチュアル系のレッスンとは、想像力をたくさん使う・体感を大切にする・自分の主観を優先する、というものです。
「気」のエネルギーやオーラなどに、そんなに関心はなくても体感ですぐに感じられる人もいますし、いくら関心があっても体感で感じられない人もいます。まったく個人差のある世界かもしれません。
それでも「体感で感じる」という感覚体験を得られないと「気」のエネルギーやオーラなんていうものは「無い」と思われてしまうのはしかたありません。
それでも「無い」ものを「有る」と思えるようになりたいという方は、体感で感じられるまでレッスンを続けてゆくしかありません。
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このあたりは人それぞれで個人差があります。いつになったら体感できるようになるのか?というのは本当にその人の感覚によって違うのです。
出会ったその日にその場で3分で感じられる人もいれば、何年たってもピンと来ないまま続けてゆく人もいます。
『胎息』もスピリチュアル系のレッスンですから、想像力を使うこと・体感を大切にすることが中心になります。『胎息』の感じを感じられるようになるとその次に「エネルギーを自分のためにコントロールしてゆく」という段階に入れます。
このあたりが主観を優先するということです。他の人には感じられなくても自分には感じられるという場合は、その感じたエネルギーを感覚コントロールすることがすぐに出来るようになるわけです。
そのコントロールというのも想像力でおこないますが、それよりも「意念」というさらに積極的な意識になるコントロール法です。
意念を使うためには「第三の眼」のようなテレパシー的な感じの意識エネルギーを使うのですが、それについてはまたいずれ書くことにします。
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『胎息』を続けてゆきますと、両腕の輪で作った「胎息のポーズ」を経由して、自分のおなかの中にエネルギーが降りて来るのを感じられるようにもなります。
やはり最後には自分の身体の「おなかのあたり」なのです。ここが身体のエネルギー中心です。これを『胎を養う』という言い方をします。自分の「胎内」で感じられてこそ「自分のための養分」となるからです。
感じられるようになれば、それを「使う」こと、つまりコントロールすることが出来るようになるわけです。感じられないままだと「使う」もコントロールも出来ません。
『胎息』とは、鼻・口・肺を使わない、おなかのあたりが自然に自立して呼吸を始める呼吸です。いわゆる腹式呼吸とはまるで違います。腹筋やら横隔膜などは使いません。おなかの中の奥底が自然に波を起こすだけの呼吸なのです。
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それは一番求める地球の生命力である「気」を得るには、鼻・口・肺を使わない呼吸が良いと分かったからなのです。
地球全体や空気空間との中にある「気」の養分を、自分の「おなかあたり」の場所に皮膚呼吸のように呼び込むことが出きるようになりますと、自分の身体の中心とまわりの空間が「ひとつの同心円」のような体感になってゆきます。
まわりの空間と一体感というのを感じてゆけるようになります。この感覚こそが『胎息』なのだと思います。それはもう、スピリチュアル的な体感と感覚です。
もしかしてこのような感覚が不老不死や若返りなどの生命エネルギーの法則とつながるのかもしれません。
「若返る・老けない・病気にならない・死なない」という永遠のイノチのような瞬間は、この「ひとつの同心円」に秘密がありそうです。
しかしこのようなことは、言葉の説明や文章で学ぶのではなく「体感で感じる」という個人的な主観を優先した境地です。こんなことを言葉の説明を聴いたり文章で読んでもなにも得られません。
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レッスンの始めは両腕の輪で作る「胎息のポーズ」だけです。「両腕の輪」を作るのは簡単です。ただ両腕を上げて、輪を作ればいいだけですから。
そのあとには「両腕の輪の内側を感じてください」「両腕の輪の外側を感じてください」というレッスンもあります。
まわりの空間とつながるイメージをしてみましょう。などのようないろいろなイメージがすべて「同心円」になってしまえれば、やがてシンプルな世界になります。
自分という身体の存在は「両腕の輪の内側」にあります。「両腕の輪の外側」には、地球一周の空間があったり、天空、地面、大きな空気、大自然、や他者の存在、などがあります。
両腕の輪の内側も外側も同時に体感で感じられて「同心円」の世界を体感できるようになると、それはもう『超・胎息』です。
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さらにここに身体の「動き」の世界が重なります。止まって「静止」しているだけではありません。『神の胎息』には、複雑な動きやチカラの出し方、潜在能力の出し方、などなど、たくさんのメニューが、きっと一生かかってでもずっと到達できない未知な世界があるのです。
それでも不思議なことに、いろいろなことは『自分の胎息』が教えてくれたりするのです。『胎息』はイキモノです。時々『胎息』は自分のためだけの《m y 神さま》にもなってくれたりするのです。
きっと『胎息』そのものに「超意識」があるようです。それは自分の内に棲む小宇宙の中からやってきた自分のまだ知らない意識のようです。
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中国道教の本などを読んでゆきますと『胎の思想』とか『胎を養う』というワードが出て出てきます。それらの意味は、言葉の説明を聞いたり文章で読んでみてもおそらく理解できません。
しかし『自分の胎息』を持つようになると、どことなく理解が出来て来たりします。本に書いてあることを理解しなくていいのです。自分の体感で感じたこと=そのまま理解となるのです。
『胎息』が『自分の胎息』になってくると、この世界は『胎』で出来ているという感じがします。その「感じ」が正しくても間違っていても、感じたことそのものが「自分の世界」です。
なにも感じられないままで日々を生きてゆくと、自分の存在が素通りされたまま世界が動いていっているような寂しさを感じてしまいます。
気が付いたらもうこんなに生きてる。あれーっっ?てことになります。そうなってから「若返る・老けない・病気にならない・死なない」ことを求めてしまったりするものです。しかしそれでもだいじょうぶです。求めている内が救いですから。
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そんな焦りをキッカケにして『胎息』のレッスンをしていっても、いろいろなことを「体感で感じられる」ようになれれば「見返り」は必ずありますからだいじょうぶです。
自分の『胎息』を育ててゆけばいつか、自分の身体の「胎内」のあるあたりの内部中心に、まるで何者かがイキモノ意識として棲みついていて、そこで『息』をしているような感じを覚えるかもしれません。
それは決して深く動く『息』ではありません。スースー・ハーハーという動きのものではなく、海の底にいるようなイキモノが静かに息をしているのです。
自分の「胎内」が静かすぎるほどの小宇宙です。その奥からこの『息』はやってきます。
これこそが身体の内部の奥底で体感できる『自分の胎息』というものです。イキモノです。このイキモノをもっと育てて養ってゆくとどうなるのでしょうね。そう感じられると、これからがとても楽しみな『自分の胎息』の世界です。
『自分の胎息』でありながら、どこかの何か大きな呼吸ともいっしょに生きているような感じもしてきます。大きな呼吸ともいっしょとは? それは外の宇宙的な存在なのかもしれません。自分の『内の胎息』と宇宙的な『外の胎息』とが同心円でひとつになるのです。
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ここまで『胎息』についてをいろいろと書いてきました。こちらの内容はすでにいっしょに呼吸法をやっている人たちに向けて書いたものですので、ただお読みになってもさっぱりお分かりにならなかったかもしれません。
このような『胎息』などをやっていれば本当に不老不死や若返りに効果が出るのでしょうか? 本当に? 本当に?
それはやはりおこなう人間側の『想い』なのです。真剣にやりすぎてもいけません。軽い気持ちで集中力も使わずにやってのいけません。それならどのような心構えでやればよろしいのでしょうか?
それはもちろん『遊びの精神』ですよ。オーラを感じるのがうまい人や気のエネルギーをあつかうのがうまい人は『遊びの精神』があるものです。
オーラも気のエネルギーも「見えないもの」ですからあまり深刻にムキになってもいけません。「あるよ」と思う気持ちが『遊びの精神』であります。
それではみなさん~*
むずかしいお話しでしたが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。解説は しらのゆきひと でした。
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本日も とてもよくできました!
また次回も お楽しみに!
し ら の ゆ き ひ と
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