朝ご飯を手ばなす
朝ご飯が好き
外食もランチよりはモーニングが好き
朝から栄養バランスよく美味しいものを食べる幸せは、何ものにも勝る
特に、薬の副作用で、お腹が激ユルユルとなったのをきっかけに、
食べ物にはめちゃくちゃ気を付けるようになった。
三食ともに、栄養バランスを考えるようになり、大したことのないメニューでも、いつも頭の中には、PFCがうずまいていた。
それに、脂質の数値が豊かな夫のためにも、きっとバランスのよい食事は効果があるはず。
フルで働いていた頃には、トーストとコーヒーだけの朝食だったのが、退職をしてまったりペースになってからは、朝食をご飯に変え、納豆やお味噌汁、果物などに、前日の夕食の残り物を添えて食べるようになった。
そうなってから数年。
そのために、まあまあの早起きをする。
トーストとコーヒーの時よりは、後片付けにだって時間がかかる。
朝食に要する時間は、思っていた以上に必要なのだ。
それでも、畑の収穫物を食卓にのせる楽しさもあり、なんだか楽しくて豊かな生活を送っているように思い込んでいた。
いや、実際に、お金はかかっていないしょぼい朝食でも、豊かだったんだと思う。
「いただきます。」と言ってから、あつあつのお味噌汁をごくり。
は~~。至福じゃ~~~。
そんな風に思っていたのだが、いつのころからか、やたらめったらと朝食を食べるのが早くになっていたわたし。
もともと早く食べ過ぎる傾向のわたしやけど、それ以上に、やっつけ食事になってしまっていた。
食べた後の段取りを考えると、のんびりと食べているわけにもいかず、急いで食べて、後片付けをして、その他の家事をして、それから出かける用意をして飛び出す。
そして、当たり前やけど、メニューのことがいつも心の片隅にあることになる。
連休などで、夫が三食家で食べる時などは特に、いつもいつもメニューのこと、食材のこと、段取りのことが頭の中にうずまく。
本を読んでいても、どこかで、やめなくてはならない時間を意識している。
三食すべてをバランスよくしようと思うと、これはなかなかにやっかいなもので、
物価高騰のことを思うと、食材も工夫しなくちゃならんし、あ~~~~~と頭の中が、食事のことで占められる。
こんなこと、誰もがやっていることなのに、そんなイライラすることでもないのに、でも、嬉しそうに食卓につく夫を見ていると、むしょうに腹が立ってくる。
夫は、「いただきます。」も「ごちそうさま。」も、「美味しかった。」もちゃんと言う人。
しかも、この頃は、家の掃除やゴミ出しなど、家事仕事に目を向けるようになり、彼なりに頑張っている。
それはわかっているねん。
ちゃんと伝わってはきてるねん。
でもな、なんで、食事のことで、こんなに頭の中を奪われなあかんのか。
そこにどうしても納得がいかない。
料理の分担も何度かはこころみたが、すべて失敗。
料理経験のない夫には、なかなかにハードルが高いのはしかたない。
それでも、やろうと思ってはいるらしく。
ただ、できないようで。
しかし、このままでは、わたしの頭が爆発してしまう。
「なんでやなんでや」に、頭の中が占拠されてしまい、大爆発寸前である。
疲れてるんやろか?
とりあえず、朝食放棄を提案してみた。
よくよく考えたら、わたしは、朝食にかかる時間を他のことにまわしたいのだ。
朝食は大好きやけど、やっつけで食べるのは嫌なのだ。
それに、朝食ぐらい、夫が自分でやればいいじゃないかと気が付いたのだ。
納豆を用意し、昨夜のお味噌汁をあたため、昨夜の残り物か果物。
それで充分じゃないか。
それやったらできるやん。
その間にわたしは、ゆっくりと朝の準備をすすめればいい。
薬を飲むために、カフェラテくらいをお腹に入れたらいい。
そう決めると、自分でもびっくりするくらいに気持ちが軽くなった。
夫も、うんと言わざるをえないので、自分で納豆を取り出している。
朝食放棄を始めてみると、これが私の身体にはえらく調子がいい。
すっきりした感じがする。
昼ご飯も楽しく食べられ、あれも食べなきゃこれも食べなきゃの執着が、うんと減った。
いつのまにか、「こうした方がいいで~~。」と世間でよしとされるものに、とりつかれていたんやなあ。
まずは、自分の身体にも気持ちにも無理のないことを。
もうとにかくめっちゃ楽。
これにつきる。
今日は朝からドカ雪。
渋滞を考慮して、いつもより早めに家を出る夫。
朝ご飯を食べる暇はない。
こっそりと、おかかのおにぎりとお茶、そしてカフェオレを保温水筒に用意する。
やらなあかんのではなければ、こんなにも素直に作ることができるんや。
人の気持ちって面白い。
そして、ちょっと怖い。