おじいさんとWBCとわたし
明日は通院日である。
3週間に1回の化学療法を受ける日。
大学病院から、予約確認のメールが届く。
そういえば、前回の治療日は、WBCの決勝戦の日だった。
よりにもよって、こんな日に病院とは・・・
と、トホホの気分で、病院に向かったことを覚えている。
私が通う大学病院は、外来棟の1階部分に特大テレビジョンがある。
そこでは、いつも同じ放送局の番組が映し出されている。
毎朝15分の人気ドラマを放映しているあの局だ。
何か病院の決まりごとがあるのだろう。
他の放送局の番組を見たことは一度もない。
8時15分に受付が開始となるが、その時の画面には、頑張る高校球児の姿が映し出されている。
私は、高校野球も大好きだ。
野球が好きになったのも、高校野球がきっかけだった。
しかし、高校野球を見ていても、どこかそわそわしてしまう。
「あっちは、どうなってるんやろう・・・。」
ごめんよ。高校生の皆さん。
受け付けは、機械に診察券を通すことで、成立する。
朝は、たくさんの人が訪れるので、機械の順番を待たなくてはならない。
私の前には、とても上品な感じのおじいさんが並んでいる。
春物のセーターの趣味が良く、会釈をしながら列に加わる姿は、とてもさまになっている。
そのおじいさんと共に、高校生を見ながら順番を待つ。
機械の前には、案内係のお姉さんが待機している。
順番を整理したり、困ってる人を助けてくれるお仕事のようだ。
列に並ぶ人が減ってきて、機械に近づいてくると、お姉さんにも近づく。
可愛いお姉さんだ。
すると、おもむろに、上品なおじいさんがお姉さんに話しかけた。
「テレビのチャンネルを変えられへんのか?」
お姉さんは、ちょっと困った表情をしながら、
「申し訳ありません。この放送局しかできないことになっているんです。」
上品なおじいさんは、上品にムッとしながら、
「みんなが見たいものに合わせるのが大事なんとちがうか。
そう思う。」
と、さらに詰め寄る。
お姉さんは、さらに眉を寄せながら、
「6チャンネルですよね。はい。すみません。」
と、私だって見たいのよ~オーラ全開で答える。
目が言ってる。
「私だって、6チャンがいいのよ~~。」
絶対に目で言ってた。
それが通じたのか、おじいさんは、もうそれ以上は何も言わなかった。
上品である。
その後、私は、化学療法を受けるため、別の病棟に移動する。
その病棟の1階フロアは、すべて化学療法のために使われている。
広いフロアの待合室には、もちろんテレビがある。
もちろん、画面では、高校球児が頑張っている。
そのフロアには、がん相談支援センターも設置されている。
ブースで区切られているいるだけの、オープンスペースではあるが、
書籍の棚などで別空間の雰囲気は保てている。
そこには、ソファもあり、ちょっと心に元気がない時には、そこで待つこともあった。
この日も、なんだか落ち着かないので、そこのソファ席で待つことにした。
(ちょっと利用方法を間違ってます。あっ、かなり。)
がん相談支援センターには、専属のスタッフが常駐していて、いつでも相談にのってくださる。
私も、何回か利用したことがある。
この時も、すみっこのテーブルについて、深刻な感じで、相談にのっておられた。
その方以外にも、ボランティアの方が一人おられる。
この方にも、入院中にお世話になった。
落ち込む気持ちを盛り立てようと、ここで、お笑いのDVDを貸し出してもらった。
返却のルールが面倒くさいものだったけど、そのボランティアの方は、こっそりといろいろ配慮をしてくださって、物理的にも、気持ち的にも、随分と救われた。
ありがたい方々である。
そして、実は、ここにも、家庭用のやや大きめのテレビがあるのだ。
もちろん、そこにも、ユニフォーム姿の高校球児が映っている。
しょうがないなあと、見るとはなしに画面を見ていると、さっきまで隣に座っていたおじいさんが、ボランティアの方を連れてこられた。
そして、チャンネルを変えるように交渉しだしたのだ。
無理やって・・・・。
と思いながらも、押しの強い交渉術を見ていると、なんと、ボランティアの方は、さっさとチャンネルを変えてくれるではないか。
えっ?まじ?
6チャンネル?
しかも、「ごめんなさいね。音は出せないんですよ~。」と、申し訳なさそうに言ってくれたりする。
いやいや。音なんてなくても大丈夫。
試合が見られたら、もう十分。
めちゃくちゃテンションが上がるわたし。
おじいさんと並んで、画面に見入る。
予想以上のわくわくする試合展開に、すっかり病院であることを忘れていた。
嫌な、点滴治療をすることも、忘れていた。
と、その時、画面が切り替わり、球場ではなく、ロッカールームが映し出された。
どうやら、試合前の、大谷選手がみんなに声をかけている様子が映し出されているらしい。
なんだか、熱く語っている感じがする。
しかし、聞こえない。
しょうがない。
でも、聞きたい。
う~~~~。
「ごめんなさいね~。これくらいで勘弁してね~~。」
ふたたび、ボランティアの方の声が近くで聞こえる。
顔を上げると、さっきのおじいさんが、ボランティアの方を、またもや連れてきてくれたようだ。
「聞こえへんかったら、どもこもならんやろ。」
と、音を出すように交渉してくれている。
さっきは、音量の件については、納得していたのに。
おじいさんも、大谷選手の言葉が聞きたかったのか。
一緒やん。
一言もしゃべってないけど、気持ちが手に取るようにわかる。
おじいさんにも、私の気持ちが手に取るようにわかったんやろうなあ。
きっと、専属スタッフの方だったら、叶わなかったわれらの願い。
おじいさんの気迫と、ボランティアの方のやさしさとで、われらのQOLは爆上がりである。
ありがとう、おじいさん。
ありがとう、ボランティアの方。
しばらくすると、私の呼び出し機のベルが鳴った。
しかし、打席は村上選手。
今、動くことはできない。
黙って呼び出し音を切り、「今はいけません。」のボタンを押す。
順番が後回しになってもいいねん。
そのぶん、帰りが遅くなってもいいねん。
村上選手を見届けなくては。
村上選手の打席も終わり、ようやく、気持ちを切り替えて、顔をあげると、私の周りは、おじいさんだらけになっていた。
おじいさん、おじいさん、おじいさん、わたし、おじいさん、おじいさん、おじいさん。
みんな、テレビの方を向いている。
ここは、化学療法のフロア。
みなさん、これから、楽ではない治療を受けるはず。
そんな治療を受けなければならない体調のはず。
この先の厳しい状況を、一度ならずとも、考えたことはあるはず。
しかし、この時のみなさんからは、生のエネルギーしか感じられなかった。
大谷選手もすごい。
村上選手もすごい。
ヌートバーもすごい。
野球ってすごい。
けど、おじいさんたちはもっとすごい。
それにしても、がん相談支援センターのソファで、ほっこりしたかった人もいたかもしれない。
おじいさんたちや私の存在に、足を踏み入れにくかった人がいたかもしれない。
本当にごめんなさい。