父を思う、いや、妹を思う
朝早くに、友人からラインが届く。
夜中に書いたらしいが、気を使って、朝になってから送信したそうだ。
夜中の病院で、家族の検査結果を待ちながら、ぐるぐるめぐる考えをまとめるために、書かれたものである。
夜中の病院
ぐるぐるめぐる思考
落ち着かなきゃ
自分はどうすべき
その友人の家族を思う気持ちを読み、これは、本気で寄り添っている人にしか言えないことやなと、あらためて思う。
私には、読むことしかできない。
今から、9年前に、実家の父が緩和病棟に入ることになった。
いよいよ厳しい状況になった時に、家族は主治医に呼ばれ、意向を確認された。
わたしは、何の迷いもなく、
しんどい思いを長引かせることはやめてください。
と、言い切った。
父はそう思っているだろうし、わたしもそう思ったから。
元気な時から、
葬式はいらん。わしは野垂れ死にでええ。
と、言い切ってきた父である。
だから、それしかないと、不遜にもそう思っていた。
そう。
驕っていた。
わたしは、父とは離れて暮らしており、父の看病も介護も、現実的なことは何もしていない。
実家の近所に暮らしている妹が、とてもしっかりとしているので、すっかり頼りきりだった。
わたしがしたのは、その妹の判断を尊重することくらいだった。
うわっ。
これも、なんか上から目線な言葉やな。
母もいて、まだ元気に動けていたので、なおさらだった。
なのに、主治医との話し合いでは、きっぱりと言い切っていたのである。
何もしてへんのに。
何も知らんのに。
あの時、妹は、ひとことも言わなかった。
それを、もうすでに、妹は主治医と話ができているのかと思い込んでいた。
結局、父は、まもなく亡くなってしまう。
その後、あらためて、その時のことを真剣に思い出すことはなかった。
そんなことがあったなという、その程度だった。
が、友人のラインを読んだ時に、一気に大きな気持ちが押し寄せてきた。
ほんまか。
ほんまにそれでよかったんか。
父は、それでよかったんか。
病室に入っていった私を、両腕をあげて手をたたいて喜んでくれていた、父の姿を思い出す。
そんな姿、見たことなかったのに。
いさぎよい父やと決めつけてたけど、
それは元気な時の父のことである。
病になり、
心身ともに何かしら変化があったかもしれんやん。
離れて暮らしていたわたしに、いったい何がわかっていたというんやろ。
父と話もしていないわたしが、何をわかった風な気持ちになってたんやろ。
父の本当の思いを知るのは、ずっと寄り添い続けてきた人にしかできない。
それやのに。
長女風をふかして、いったい何を言ってしまったんやろ。
あの時、妹は、どんな気持ちでわたしの言葉を聞いていたんやろ。
本当に寄り添い続けた人の言葉が、ぎっしりと詰まった友人のラインの文章。
寄り添い続けるって、こういうことか。
もう9年も前のことが、いきなり、一瞬でつながっていった気がする。
あの時の、妹の目。
少ない言葉。
でも、わたしを見つめる彼女の大きな目が、いつまでも頭の中に残っている。
たしかに、何か言いたそうな目やった。
そのことに、いまさら気がつくなんて。
思いっきり、知らん人に、いきなり頭を殴られたよう気づき方。
いや。
ほんまは気づいていたんかもしれんな、わたし。
ふたをしていただけやったかもしれんな。
だから、友人のラインに、こんなにも心揺さぶられるんとちゃうやろか。
わたしには、今後二度と、
わたしのことを誰もわかろうとしてくれへん
なんて、そんなえらそうな言葉を言う資格はないなあ。
そのことに気づいたことで、許してはくれへんやろか。
妹。