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何もない今日はいい日

益田ミリさんの「しあわせしりとり」を読んだ。

いろんなことがある。
いいことも悪いことも。
特になにもなかった日は、いい日に入れている。

「しあわせしりとり」益田ミリ


夫がむせている。
かす汁を飲みながら、激しく咳き込んでいる。
ゲホッ
グヘッ
ヴヮェ~
ドゥェ~
うぉっっ
うぉぉぉぉぉぉ

まあ、よくもこんなに汚らしい擬音が、作り出せるもんやなあ。
せっかくやから記録しときたいし、もう1回やってみてって
思わず言いそうになるくらい,
珍しい音が連なってた。

そんな私の心の内を知らずに、涙目で私を見ながら

「おじいさんみたい?」

とたずねる夫。

「うん。おじいさん以外の何者でもないわ。
 見事に、おじいさんやったわ。
 おじいさんかどうかを見極めるバロメーターに、
 むせ方っていう項目があるんやなあ。」

素直に、そう答える私。

そんなやりとりをしながら、二人とも、いつかお蕎麦屋さんで見かけた、あるお父さんのことを思い出した。


私たちより、ちょい年下な感じのそのお父さん。
妻と、息子二人と、四人でそばを食べていた。
そこのお蕎麦屋さんは、新そばの季節にしか営業をしないので、
シーズンになると、行列ができる人気ぶり。
しかも、お客人の高齢者が占める割合が、かなり高い。
なのに、大盛り注文率も、かなり高い。
外で並んで待っている人のことを考えてか、みなさん、ひたすらに黙々とそばを食べる。
もちろん、相席は当たり前。
次々と、お客人は回転していく。
おしゃべりの声は、ほとんどしない。

そんなお蕎麦屋さんで、そのお父さんは、蕎麦をすする勢いが強すぎたのか、激しくむせ、せき込みが止まらなくなった。

とても苦しそうである。
慌てて食べたんかなあ。

でも、私たちが、その光景を忘れられないのは、
明日は我が身やなあという戒めもあるが、
家族がだれ一人として、お父さんを助けることをしなかったからである。

鼻の穴から、お蕎麦が逆流してくるんじゃないかというくらいの、激しい咳き込みに対して、息子二人は、ただ何もせずに、じっとしている。
背中をトントンくらいした方がいいんやないやろか。
離れたテーブルについていた私ですら、そんな気持ちになったのに、
息子二人は、お蕎麦を箸にはさんだままの姿で、ただただ、じっとしている。

そして、お父さんの斜め向かいに座っている妻(おそらく)にいたっては、まるで何もないかのように、お蕎麦をズルズルとすすっている。
ズルズル
もぐもぐ
ごくん
ズルズルもぐもぐ
ごくん

あの~。
お父さん、めっちゃむせてますけど、気がついてはりますか?

と、言いにいきたくなるほど、ふつうにお蕎麦をたべている。


まあまあの長い時間をかけて、お父さんの咳き込みはおさまった。
まあ、よかった。


帰り道の私たちの会話は、かなり盛り上がった。
あれはどういうことなんや?
そりゃあ、どうしようもないかもしれんけど、誰も何もしないし、何も言わないし。
あのお父さんがむせるのは、あまりにも、日常茶飯事なんやろか。
隣の席の息子は、せめて、背中どんどんはしてもよかったんちゃうか?
お父さん、よっぽど嫌われてるんかなあ。
いやいや。
嫌っているなら、一緒にお蕎麦なんか食べにこないんとちゃう?

私たちの妄想劇場は、とどまるところ知らずやった。
おかげで、帰り道にある、道の駅や、おかきやさんでは、妄想話をしながらの買い物となり、無駄遣いしまくりとなってしまった。
なんで、こんなにおかきを買っているのか。


話戻して、
そのお父さんのむせ方と、同じやったか?と、かす汁夫は尋ねているのである。
そして、暗黙の裡に、あれと同じように、助ける気が失せるか?とも、
きいていたのかもしれん。
実際、
大変や~。助けな!
というよりも、
珍しいむせ方を記録したいから、もう一回やってくれへんかなあ
なんて思っている私は、あの時の妻(おそらく)と同じかもしれん。
夫には、しっかりばれていたようや。


その日は、お出かけもせず、休日なのに、ずっと家で過ごしていた。
特に、楽しいこともなく、珍しいこともなく、家事をしたり、本を読んだりするだけで、なんにもなかった。
なんだか、つまんない日やった。
そんなことを思いながら、夕食を食べていた。
そのメニューに、かす汁があったのだ。
この冬初めてのかす汁。


その日に読んでいたのが、益田ミリさんの「しあわせしりとり」だった。

『なんにもない日は、つまらない日。
だから、なんにもない日は、いいか悪いかで分けたら、悪い日。』

そう、無意識に分類していた私。

でも、益田ミリさんは、
『なにもなかった日はいい日に入れる』
そうだ。

なるほど。
なにもなかったってことは、悪いこともなかったってことである。
こんなに悪いことがいっぱい起こる生活において、
何もないって、それはすごいことかもしれんなあ。

それに、
何もなかったと言いながら、
夫のかす汁むせ事件があり、
そこから、
お蕎麦屋さん事件のフィードバックがあり、
夫婦の会話は、はずんだ日とも言える。
(はずんだって言えるかどうかは、知らんけど。)
そうやな。
まあまあ面白かったから、この日は、いい日にカウントできるよな。

『なにもなかった日はいい日に入れる。』

なにもなかったと言いながら、悪くない何かはあったんやな。

あっ、でも、かす汁むせ夫にとっては、悪い日やったんか?

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