見出し画像

庭師が点てる珈琲とお茶

辛子色と言ってもいいくらいの渋めの黄色。
そんなのぼりが、何本も風にはためいている。

いつもの通り道である国道沿い。

なんののぼりだろう。

そのあたりは、昔ながらの家々が建ち並び、商店らしきものはなさそうなところ。

あるとすれば、大きな造園屋さんくらいである。

車の中から読み取れたのは、「庭師」 「珈琲」 「お茶」の三語。

カフェでもできたのか。

でも、それっぽい建物は見えなかったけどなあ。

それに、庭師って??

帰宅してすぐに、調べてみると、出てきたのがこの言葉。

庭師が点てる珈琲とお茶


どういうことやろう。
気になるじゃないか。
どうやら、造園屋さんの敷地内にお店があるらしい。

たしかに、ここの造園屋さんは、日本庭園向きなかんじがするから、お茶の心得もおありなんだろう。

せやけど、
珈琲も?
庭師さんが点てる?
???


となると、行くしかない。
土曜日しか営業していないらしいので、もう今日である。

お店らしき場所にたどり着くと、渋いいでたちの男前が、店先に立っていた。

愛想がいいわけではないが、慇懃に店内に案内して下さる。

店内と言っても、入店してすぐの玄関?たたき?といった感じのスペースである。

和風の建物の中に、こじゃれた洋風のインテリアを施し、カウンターの真ん中には、でで~んとエスプレッソマシーンが鎮座している。

メニューもシンプル。

珈琲は、このマシーンにのみ頼っているようだ。

お菓子もある。
どうやら、この界隈で有名な和菓子屋さんの大福が食べられるらしい。


この和菓子屋さんというのは、いちご大福が有名で、しかも、珍しいことに、「普通のいちご大福」と「大きないちご大福」ってのを作っている。
「普通のいちご大福」でも、そのいちごのでっかさには目をむいてしまうが、「大きないちご大福」では、そのいちごがさらに大きくなる。
かといって、口の中がいちごだらけになるわけではなく、ちゃんと、お餅とあんこといちごのバランスが、絶妙に保たれている。
「大きないちご大福」を食べたら、その日一日がとっても幸せになる。
ちなみに、友人にその大福をプレゼントしたところ、友人の父がいたく感激して、翌日に片道1時間もかけて、わざわざ自分で買いに行ったそうである。
それほど、人を幸せにする大福なのである。
ただ、今は、季節がいちごに適さないので、パイナップル大福だったけど。



話がかなり逸れてしまった。

カフェである。

庭師さんのカフェである。

店内には、造園屋さんらしく、山野草が上品に飾られていた。
お茶を入れながら、さりげなく、その山野草について説明してくださる。

斑入りの桔梗ができる理由。
気品ただよう真っ赤なネムノキと、道路沿いで見かけるネムノキとの違い。
盆栽風にしたサルスベリ。

わかりやすい説明に、ついつい引き込まれる。
しかも、山野草たちが、かわいいのである。
控えめなのに、見入ってしまう。
ひっそりと、それでいてしっかりと、そこにある山野草。
ついつい欲しくなる。

もともと、山野草を楽しんでもらうのに、お茶でもあったらいいなあと始められたカフェらしい。

素敵なアイデアである。
そして、それを実行してしまう行動力。

ふ~~ん。
庭師さんでありながら、カフェの店主でもあるのか。
話術もかなりのものやから、きっと山野草の販売員としても
力を発揮してはるんやろうなあ。
庭師さんと、カフェの店主と、販売員とをこなしてはるんか。

職業はひとつ。
できれば、生涯それを貫く。
そんな感覚にいつまでもとらわれている私。

いくつもの肩書を持つ人は、なかなか信用しにくかった。

でも、人って、好きなことや得意なことを、いくつも持っている。
それを、どれかに絞るのではなく、どれも楽しんでしまう。
どれもやってみる。
注ぐ力は、その人なりに軽重をつけて。
おのずと、肩書をいくつも持つ人がでてくることだってある。

いいなあ。
なんだか、とってもうらやましくなった。
やってみたいことを、やってみる。
そうやな。
やれるようにするためには、どうしたらいいかを考えるんやな。

できない理由や、ダメだった時のことや、そんなことばかりを考えがちな私。

気になる検査の結果がどうであれ、その時に、できることを、どうやったらやりたいことができるのかを、考えていくんでいいんとちがうか~~~。

と、山野草を買いもせず、パイナップル大福を食べもせずに店を出た。

今度は、検査後に、行ってみようかなあ。
その時は、大福も食べようかなあ。
その時は、何の大福やろう・・・・・。



いいなと思ったら応援しよう!